2023.09.07 18:36
【ロング版5000字】らんまん脚本家、長田育恵さん「万太郎は牧野富太郎より愛情深く、弱い」「高知だから『はちきん』の女性キャラ存在できた」
朝ドラ「らんまん」の脚本家、長田育恵さん
牧野博士が生きた時代の史実を丁寧に織り交ぜながら紡がれる、らんまんの物語。長田さんはどのような思いで執筆しているのでしょうか。ぜひお読みください。(聞き手=楠瀬健太)
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―らんまんの脚本を最終週まで既に書き終えられたということですが、率直な気持ちを教えてください。
本当にホッとしています。無事にやり遂げられて良かったし、撮影チームの皆さんの思いを損ねない脚本をここまで紡ぐことができたんじゃないかなと思っています。
―初めて朝ドラの脚本を担当されて、重圧などはありましたか?
正直に言うと、重圧はかなりありました。この朝ドラの仕事が始まったら、終わるまで降りることができない巨大な密室空間のように感じて。ただ執筆の具体的な作業が始まっていくと、すごく自分には向いている仕事だったんですよ。とにかく私は物語を考えることと、登場人物を生み出してその行方を考えることが大変好きなんですね。だから、貴重な機会を与えられたなって思っています。私にやり遂げることができるだろうかという恐怖心はものすごくありましたが、単純に物語とか登場人物のことだけを考えると、私にとってはとても幸福な時間でした。
―世間の好反応や視聴者の応援の声はどう受け止められていますか?
好反応はとてもうれしく、なおかつ頑張らねばと思いました。ネットの声への恐怖心はありましたが、熱量をすごく持って考察が書いてあったり、自分が込めた思いをちゃんとくみ取ってくださったり、美術チームと連携しながら作った小道具とかまで拾ってくださっていたり、きめ細やかな受け取り方をしてくださっていて、とても感動しています。あとは「明日もこの物語が楽しみだ」っていう声を見始めるようになった時、本当に感動して。私が元々物語が好きになったのも、明日また続きが読めるのがうれしいとか、そういう思いが原点だったので。ネットの中に「明日またこの物語の続きが見られるから、今日も頑張れる」って声が現れ始めたときには、私がそういう物語を紡ぐ側になれたことに本当に感謝しました。
©️NHK
初めから牧野富太郎という人物の偉人伝をやるつもりはさらさらなかったです。牧野富太郎という、草花を一生涯愛したシンプルな一人の人物がいて、その人物を広場というふうに見立てて、そこに集まる人々や関係性、ネットワークを描き出そうとしていました。
万太郎は富太郎とは全く違う人物像として作っています。万太郎さんは富太郎さんに比べると愛情が深いが故に弱いキャラクターになっていて、妻の寿恵ちゃんだったり自分の子どもたちだったり、草花以外にも大事なものがかなりたくさんある。大事なものが増えれば増えるほど、彼の活動に関しては矛盾がどんどん生じていくんですよね。
この弱さ故の矛盾を抱えながら、万太郎さんは前に進み続ける。その前に進める力っていうのは植物図鑑を完成させるという寿恵ちゃんとの約束もあるし、送り出してくれた祖母のタキと母親のヒサの思いだったり、早川逸馬さんっていう自分を犠牲にしても送り出してくれる人だったりします。いろんな人の思いが夢に集まってきているので、矛盾を抱えながらも真っすぐ光が差していく方向に向かうっていう人物像に万太郎はなっています。
―らんまんの中で特に印象深いシーンはありますか?
神木(隆之介)さんが(寿恵子と再会した時に)「ズギャン」を言葉にしたのは衝撃的で、びっくりしました。神木さんがズギャンって言ってくれたのはとてもチャーミングだったし、それを受けて竹雄も後にズギャンって言うんです。ここでときめきが起きるとか、思いの発露があるっていう私が脚本に込めた思いを、俳優たちがすごくつかんで工夫を凝らしてくれるんです。
あと、寿恵ちゃんがダンスレッスンを始めたときに、先生に筋トレをさせられるところ。この時に寿恵ちゃんがアドリブで「寿恵子、トライ」って言ったんですよ。あれが本当に、寿恵子の産声でもあるんです。最終話まで、寿恵ちゃんの大冒険は「寿恵子、トライ」なんです。社会に踏み出して最初に踏ん張った場面で、寿恵子が運命のテーマを自ら言っていて、すごい感動しました。
©️NHK
タキさんはもうまさにそうですし、綾ちゃんもそうですよね。2人とも、いわゆる世間一般の物差しでいうような女性らしさや女性らしい生き方っていうことを全く外れたキャラクターです。最初から豪商「峰屋」を独りで守り抜こうっていうタキさん、道がないけれどここで私は生きるんだって、自分で切り開く綾。最初から、世間一般の物差し通りに生きようなんてことを、全く考えてもいないところからスタートしている。やっぱり高知だからこそ、そういう女性像がナチュラルに、何も奇をてらうことなく存在できたということがとてもあります。
島崎和歌子さんが演じていただいたキャラクターもそうですし、実は世間の物差しに当てはまる女性像っていうのが全編を通じてあんまり出てきてないんですよ。一見、(田邊教授の妻)聡子がそういうキャラクターかなって出てくるんですけど、それは成長を描くためのスタートラインがここですってだけ。あんまりそういうステレオタイプはいないって最初から思っています。
―出来上がった映像を見て、その後の脚本が当初思い描いていなかった展開になることなどはありますか?
出来上がった映像を見て、どんなふうにドラマのキャラクターが肉付けされてるかを私は初めて把握しています。なので、映像を見てから具体的な肉付けが日々増えていってるという感じがします。例えば藤丸なんですが、(映像で見ると)藤丸と抱っこしているウサギとの距離感がもっと想定より近かったんですよ。あんなに大きいウサギとあんなに密に親しむ藤丸君だったんだって気づいて。優しさや気づきやすさがある藤丸君っていうのを、具体的に映像で見られました。(寿恵子に)「つわりには揚げ芋がいいんだよ」「義理のお姉さんはこればっかり食べていたんだよ」って言う場面は、最初から決まっていたんじゃないんです。藤丸君と歩むに従って、彼ならばそういう行動をするんだろうな、っていうのがどんどん生まれてきたんです。それが全キャラクターにおいて発生していると思っていただければ。
©️NHK
やっぱり神木さんは唯一無二の方だなって思います。朝ドラの主人公としては最高に難しい役だっていうのがよく分かっていて、素晴らしいコントロールで演じきっていただいている。それが裏表がない。本当に唯一無二の神木さんでなければ成し遂げられない主人公を、演じていただいているなって感じています。
神木さんは言葉の力もすごいんですけれど、言葉じゃない部分の力がすごく大きくて。例えば、大学を追放されて田邊邸を訪れて、田邊邸で決裂した後の帰り道ってすごく台本を書くのが難しかった場所なんですけど、神木さんが言葉じゃない部分で万太郎が思っていることをすごく表現してくださっていて。実は万太郎っていうのはらんまんでもありつつ、壮絶に孤独で孤高の主人公でもあるんです。孤高だからこそ、つながり合うことのいとおしさだったり、切なさだったりを誰よりも痛感している。それを体現してくれているのが、本当に唯一無二でありがたいです。
寿恵子さんは、こういう孤高で大変な道を歩む万太郎に対して、太陽のような、導き手のような存在です。すごくりりしくて、それこそ天使のような。寿恵子は武家の生まれの娘で、お母さんは柳橋で頂点を極めてた芸者でその血を継いだ一人娘。元々スケール感が大きな娘さんで、その寿恵子さんの明るい勇敢さと、そこに全く悲壮感が漂ってないっていうところを演じていただくには、浜辺さんが本当にもうこれ以上ない女優さんだったなと思います。
これがちょっとでも悲壮感が漂ったりとか、あなたのためにっていう恩を着せるような文脈、自分が誰かのために損なわれているんじゃないかっていう文脈が入ってきたりすると、物語が全く見られなくなってしまうので。この物語は、全ての植物がそれぞれありのまま咲き誇るように、自分で選んだ自らの生を咲き誇っていこうとしている人たちの物語。寿恵子は寿恵子の自己実現のために万太郎ってパートナーを選んでいるので、思いっきりリミッターを外してどんどんトライをし続けられる明るさとバイタリティーと勇敢さがある。それを演じる上で、本当に浜辺さんが最高の女優さんだなって思います。
©️NHK
万太郎が植物図鑑を作る話なので、最終回の放映が終わった時に、週タイトルを含めて植物図鑑というふうになっていればいいなって思ったんですよね。なので週タイトルも植物にしようっていうのは、初期の段階で決まっていました。
週タイトルの付け方は何通りかあります。植物学者の話ではあるんですけど、植物だけを発見に行く物語にすると、その時点で植物に興味がない視聴者は脱落してしまいます。なので、植物と人間を結び付けていくっていうことは、かなり最初の構想からありましたね。植物と人が結び付いて強いものとしては、最初のお母さんに結び付くバイカオウレンや、早川逸馬さんと結び付くキツネノカミソリがあります。
ムジナモやキレンゲショウマは、(新発見などの)業績関係として絶対に外せない。植物が業績というアイコンになるから、業績は人間関係を描き切った上で最後にもたらされるものにして、業績自体をメインというふうにはしないようにしてあります。
そのほかに、私がこういう文脈で使いたいってはっきりしている自由度の高い植物があります。例えばヒメスミレなんかは、小さな子どもの目線に咲く花で、長屋とかにも普通に咲いて、一番人々の身近なもので今この季節に用意できるものは何ですか、っていう問いかけに、植物チームから挙がってきたものです。
こっちが文脈的に求めていることと、植物チームが現在手に入るものとのせめぎ合いが毎週、臨機応変に繰り返されているんです。例えばシロツメクサの週というのは、実はカガリビソウっていうシクラメンみたいな花が最初はタイトルでした。カガリビソウを選んだのは牧野富太郎の自伝に、東京に来て初めてカガリビソウを教えてもらったという話があったからです。それで丸々1週間分を書き上げたけど、この花が時季に合わず手に入らなかったので、書き上げたけど却下になった。じゃあ今手に入るのは何かあるんですかって聞いたら「選択できるのは1種類だけ、シロツメクサです」って言われて。やっぱり植物が変わると、自分の中でテーマも変わるんですよね。ストーリーラインは変わらないんですけど、シロツメクサが最も生きる文脈は何かっていうことを考えて組み立て直しました。
©️NHK
最終週は、私の中では最初から決めてた仕掛けがありまして、万太郎が何歳であろうと最終週は任意に始められるんです。最終週は「継承」っていうのが大きなキーワードになっています。牧野富太郎さんが生涯をかけて集めた標本は40万点以上あるんですけど、これが資料として活用されなければ、標本は生きることにならないんですね。この40万点を活用させたところから初めて、世界各国と標本を交換できるようになりましたし、日本の文化や植物分類学の基礎としてこの標本が機能している。絶滅した植物をたどることもできます。それを後の世の人にどうやって継承していくのかっていうのが、大きなテーマになっています。
万太郎が作る図鑑も一生懸命に集めている標本も、全て次の人たちに手渡すためで、今この人生を使って万太郎は頑張り抜いている。手渡せなければ意味がないから、オープニングから万太郎が「おまんは誰じゃって」って問いかけた相手、自分たちが残してきたものを手渡していくよ、その先に受け継いでいくよ、って思いがあります。それこそ植物が種を絶対に残して、次にまた花を咲かせていくように。万太郎が開花の時季をやがて終わり、今度は後にどういう実を残すかっていうターンになっていく。開花が終わった後の万太郎の生きざまを、楽しみにしていただければと思います。
―最後に、視聴者にメッセージをお願いします。
このらんまんという物語は、槙野万太郎が生きとし生けるもの全てのありのままの特性を見つめて、愛し抜くっていうまなざしが貫かれています。だから全ての登場人物が、最後まで自分の冒険を続けていくことになると思います。万太郎と寿恵子、それから周りの登場人物たちの冒険はあともう少し続くことになると思いますので、それぞれの行方を楽しみに見守っていてもらえたらと思います。
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