美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
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美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
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美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(1)
とっちんこと田中正造退場のやじに負けず 栃木の人、田中正造は国会で「とっちん」と呼ばれた。 1890(明治23)年の第1回衆議院議員選挙で当選して間もなく、彼は地元の足尾銅山による汚染問題に取り組みだ...
美しき座標(特集3)田中正造と足尾鉱毒事件 被害民の心込め直訴状
晩年の田中正造(栃木県佐野市郷土博物館提供) お願いがございます、お願いがございます--。そんな言葉を大声で叫びながら、田中正造が、天皇を乗せた馬車に駆け寄ったのは1901(明治34)年12月のことだ...
美しき座標 平民社を巡る人々 第2部「自転車で行こうよ」(12=終)
内村鑑三、幸徳秋水、堺利彦の退社を知らせる万朝報(1903年10月12日付)米代もらいに行くよ 幸徳秋水と堺利彦、内村鑑三の3人は、万朝報(よろずちょうほう)を退社することを決めた。同社社主の黒岩涙香...
美しき座標 平民社を巡る人々 第2部「自転車で行こうよ」(11)
明治30年代に東京・不忍池畔で行われた自転車レース(自転車文化センター提供)万朝報の非戦論 1903(明治36)年。ロシアと日本の関係が緊張し、戦争ムードが国内に広がる中、幸徳秋水は万朝報(よろずちょ...
美しき座標 平民社を巡る人々 第2部「自転車で行こうよ」(10)
1910年、旧稲生村にあった自転車店(高知市民図書館所蔵)泥田に落ちて大目玉 近々新宿に家を借り、自転車を始めようかと思う--。万朝報(よろずちょうほう)の堺利彦が日誌にそう記したのは1901(明治3...
美しき座標 平民社を巡る人々 第2部「自転車で行こうよ」(9)
1880~1899年ごろの追分宿(今の長野県軽井沢町、日下部金兵衛撮影、手彩色)旅館のチップ廃止運動 幸徳秋水ら6人による「社会民主党」は1901(明治34)年5月20日、治安警察法によってたちまち禁...
美しき座標 平民社を巡る人々 第2部「自転車で行こうよ」(8)
社会民主党を設立した6人(左から安部磯雄、河上清、幸徳秋水、木下尚江、片山潜、西川光二郎)6人の結党宣言 万朝報(よろずちょうほう)の記者ら6人が自転車で、堺利彦の鎌倉の家へ遊びに行った1901(明治...
美しき座標 平民社を巡る人々 第2部「自転車で行こうよ」(7)
市内を巡った万朝報の自転車隊(1901年12月=自転車文化センター提供)自転車党になりたい 堺利彦は1901(明治34)年4月末、東京・芝仲門前に新しく住居を構えた。と言っても民家2階の間借りである。...
美しき座標 平民社を巡る人々 第2部「自転車で行こうよ」(6)
人力車が並ぶ東京・浅草寺(1903年刊『日本之勝観』、国立国会図書館ウェブサイトより)外ではだしは禁止 はだしで外を歩いてはならないという「はだし禁止令」が東京に出されたのは、1901(明治34)年5...
美しき座標 平民社を巡る人々 第2部「自転車で行こうよ」(5)
土陽新聞に載った自転車の全面広告(1910年10月12日付)人力車は面汚し? 万朝報(よろずちょうほう)に、幸徳秋水(旧幡多郡中村町出身)が入ったのは1898(明治31)年。その1年遅れで九州出身の堺...
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