美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
185記事
美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
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おい俊寛、さようなら―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(26)
石川三四郎の自叙伝を収めた青土社版著作集(1977年刊)=奥=や理論社版(56年刊)=手前左、大杉栄の土曜社版「獄中記」(2012年刊) 1908(明治41)年3月。東京・巣鴨監獄の独房に3人並んで入...
壁の穴でおしゃべり―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(25)
奥に見えるのが巣鴨刑務所と改称された後の巣鴨監獄(1925年刊『巣鴨総攬』、国立国会図書館ウェブサイトより) 大杉栄が初めて獄に入ったのは1906(明治39)年3月、牛込区(今の新宿)にある東京監獄だ...
「一犯一語」の大杉栄―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(24)
明治初期の受刑者の様子(1875年刊『監獄則図式』、国立国会図書館ウェブサイトより) 平民新聞の人たちは獄中でたくさん本を読み、独学した。大杉栄はこう書いている。 〈元来僕は一犯一語という原則を立てて...
ここは天国ですぞ―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(23)
明治初期の受刑者の様子(1875年刊『監獄則図式』、国立国会図書館ウェブサイトより) 東京・巣鴨監獄にあった古い木造の「11監」。大杉栄が入った時、先にいたのが石川三四郎で、彼も獄中の様子を書いている...
うんうん、よしよし―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(22)
明治初期の受刑者の様子(1875年刊『監獄則図式』、国立国会図書館ウェブサイトより) 東京・巣鴨監獄に入獄した堺利彦は、しばらくして本監から別棟の「11監」に移されている。 ここには恐喝の弁護士、詐欺...
ごま塩にしましょうね―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(21)
明治初期の受刑者の服や懲罰道具(1875年刊『監獄則図式』、国立国会図書館ウェブサイトより) 堺利彦は1904(明治37)年4月に東京・巣鴨監獄に入った。週刊「平民新聞」の関係者として、また社会主義者...
1000年後の未来から―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(20)
明治の監獄の一例(1875年刊『監獄則図式』、国立国会図書館ウェブサイトより) 田岡嶺雲は、幸徳秋水と親しい間柄だった。2人の出会いは、嶺雲が岡山監獄に入る数年前にさかのぼる。 1897(明治30)年...
牢獄で菓子をたらふく―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(19)
大阪にあった頃の第三高等中学校の配置図(1887年、国立国会図書館ウェブサイトより) 田岡嶺雲(現高知市出身)は15歳の時、大阪で寄宿して学んでいた学校が、学制改革で「第三高等中学校」となり、急に軍隊...
掃除したくない嶺雲―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(18)
田岡嶺雲「下獄記」(1901年刊、高知県立図書館所蔵) 足尾銅山の鉱毒問題について、被害者と加害者の立場が逆転しているとして、「政府は被告なり」と書いた堺利彦。わずか2年半後の1904(明治37)年4...
被告は政府なり―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(17)
足尾銅山(1900年刊『日本之名勝』、国立国会図書館ウェブサイトより) 川俣事件の控訴審が東京で行われたことによって、在京の新聞社は取材しやすくなった分、足尾銅山の鉱毒問題を盛んに報道した。 万朝報(...
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