美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
185記事
美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
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監獄に入るのは誰? ―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(6)
ロンドン風だった東京・丸の内=1910年刊「日本風景風俗写真帖」(国立国会図書館ウェブサイトより) 寒川鼠骨(さむかわそこつ)を乗せた人力車は、見送る仲間の十数台と共に、ガラガラと走って行った。その音...
一番糞もせなければ―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(5)
1901年刊、寒川鼠骨「新囚人」=高知県立図書館所蔵 堺利彦は1904(明治37)年4月から巣鴨監獄で2カ月を過ごし、その体験を出獄後すぐ週刊「平民新聞」に連載し始めている。第1回冒頭は「監獄は今が入...
寝る時は「柏餅」―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(4)
1909年測量の2万分の1地図(国土地理院)を基に、巣鴨監獄の建物、池袋駅に着色 巣鴨監獄で柿色の服に着替えた堺利彦は、看守に教えられたように、手を振らず、足だけをひょこひょこ動かして、初めて入る監房...
こりゃ、しゃれた部屋―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(3)
東京監獄は大正時代に「市谷刑務所」と改称、改修された(画像は1930年刊『日本地理大系 大東京篇』より) 堺利彦は、巡査たちとおしゃべりした後、再び同じ馬車に乗せられ、鍛冶橋の警視庁を出た。 向かった...
「だんなのお帰りー」―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(2)
堺利彦が連れて行かれた警視庁の鍛冶橋第2次庁舎 壮麗なれんが造りの大審院の建物深部に入った堺利彦は、薄暗い廊下を歩き、奥にある鉄柵の部屋に入った。そこで1、2時間ほど待たされた後、外へ連れ出された。 ...
大建築の最下層へ―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(1)
東京控訴院のある大審院の建物 週刊「平民新聞」の堺利彦が監獄に入ることになったのは、桜が散り、若葉が芽吹きだしたころだった。 1904(明治37)年4月21日午後1時。見送りの仲間たちとともに、堺は東...
塀の中は理想郷?1904年社会主義初の投獄 弾圧にはユーモアで―美しき座標 平民社を巡る人々(特集5)
堺利彦が入った巣鴨監獄。法政大学江戸東京研究センター所蔵「東京近郊名所図会」(1910年刊)より 幸徳秋水(旧幡多郡中村町出身)たちが、近づく日露戦争に反対し、週刊「平民新聞」を創刊したのは1903(...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部=終「おかしな兆民先生」(35)
「続一年有半」に収録された最晩年の中江兆民希望あれ、楽天的なれ 〈十二月十三日、これは兆民先生が逝った日である。ああ、その声音はまだ耳にあり、その姿はなお目から消えないというのに、三年の春秋ははや夢と...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(34)
中江兆民の死去を伝える土陽新聞(1901年12月15日付)「知れたことよ」 板垣退助が、病の中江兆民を最後に見舞ったのは1901(明治34)年11月14日で、兆民の意識は、痛み止めの麻酔剤のため、時に...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(33)
「一年有半」と「続一年有半」痰壺ぶつけるぞ 中江兆民の容体は思わしくなかった。1901(明治34)年11月下旬には、面会を断るようになった。目や耳の感覚はさえていたが、睡眠できず、相当苦しかったようだ...
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