美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
185記事
美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
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美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(32)
中江兆民が帰京の際に泊まった旅館「養神亭」(撮影時期不明)=提供・逗子市天国や地獄ありません 「一年有半」が出版された4日後、中江兆民は療養先の大阪を離れた。少しずつ移動し東京まで3日がかり。途中、逗...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(31)
「ビールは三瓶」。中江兆民が石黒忠悳に出した返事(高知市の島崎誠さん所蔵)ずるい山県、ばかの松方 中江兆民の「一年有半」が出版されたのは1901(明治34)年9月3日。弟子の幸徳秋水が原稿を受け取って...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(30)
大阪で療養する中江兆民と、訪ねてきた長男の丑吉(1901年『続一年有半』より)この世への置き土産 東京・小石川武島町の中江兆民の家には、短い渡り廊下でつながる離れの茶室があった。奥に4畳半の部屋があり...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(29)
幸徳秋水が「兆民先生行状記」の草稿に描いた、中江兆民が息子の丑吉と遊ぶ絵(専修大学図書館所蔵)庭の池ではしゃぐ 中江兆民の長女、千美(ちび)が幼かった日々のことを書き留めている。 兆民が国会議員を辞め...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(28)
選挙大干渉の錦絵「高知県民吏両党の激戦」=高知市立自由民権記念館蔵自由党を祭る文 中江兆民が衆議院議員を辞めてから、ちょうど1年後。1892(明治25)年2月に、第2回の衆議院選挙の投票が行われている...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(27)
錦絵「国会議事堂会議の図」(1889年1月、一部を撮影)=高知市立自由民権記念館所蔵悲しむべしこの議場 初めての国会が開かれる直前の1890(明治23)年10月。中江兆民は「国家の夢、個人の鐘」という...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(26)
中江兆民ら最初の衆議院議員たちの肖像(1890年8月15日付『改新新聞』付録)=高知市立自由民権記念館所蔵一文なしで立候補 大日本帝国憲法が発布された翌年。1890(明治23)年7月1日、初めての衆議...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(25)
錦絵「憲法発布 新皇居二重橋御出門之図」(高知市立自由民権記念館所蔵)猿吉、チビと命名 中江兆民は、1889(明治22)年に公布された大日本帝国憲法に大きく失望し、苦々しく思っていた。 そのころの記憶...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(24)
ビゴー画の「将来の国会を飾る天井画の下書き」。好色家で知られる伊藤博文が、人をたぶらかすさまを皮肉っている(1887年6月『トバエ』9号)=高知市立自由民権記念館所蔵後藤、板垣腐れり 「大日本帝国憲法...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(23)
憲法発布の日の様子を伝える土陽新聞(1889年2月12日付)憲法でどんちゃん騒ぎ 中江兆民が魚梁瀬村へ旅した翌年の1889(明治22)年2月。「大日本帝国憲法」が11日に公布されることになった。 直前...
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