美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
185記事
美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
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美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(2)
生誕地そばに立つ「兆民通り」の石碑(高知市はりまや町3丁目)茶わん割って大喜び 黒船が来航する6年前、中江兆民は高知城下に生まれた。 幼い頃の名前は竹馬。温和な性格で、体はあまり丈夫ではなく、母親の柳...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(1)
あなた、何してるんですか…(『中江兆民奇行談』口絵、国立国会図書館ウェブサイトより)お風呂に入ってます? 明治のころ、東京・四谷新宿辺りの出来事らしい。 その日は、まるで砂を火で煎(い)っているような...
美しき座標(特集4)中江兆民 大いに嘆く 言論で専制に対抗遠く
晩年の中江兆民 日本で初めて、国会が開かれたのは1890(明治23)年11月。その第1回国会に議員として臨んだ中江兆民は、国会のありように大きく失望し、「(議場はまるで)無血虫の陳列場」ではないかと嘆...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(17=終)
田中正造が気に入っていた自分の写真(1912年撮影、栃木県佐野市郷土博物館所蔵)「どうしやんした」の声 田中正造はあちこちの家に泊まりながら鉱毒問題に向き合い続けた。着っぱなし、雨にぬれっぱなしの日も...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(16)
強制破壊された後、島田宗三の一家が建てた仮小屋(栃木県佐野市郷土博物館所蔵)妻の名忘れて茫然 谷中(やなか)村が強制破壊された1907(明治40)年6月末からの1週間は断続的に雨が降っていた。家を壊さ...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(15)
強制破壊された後、住民が建てた仮小屋(栃木県佐野市郷土博物館所蔵)破壊される村 田中正造の直訴の後、政府は「終局を期ス」--つまり最終的な決着を図る、という態度で「第2次鉱毒調査委員会」を設けた。 し...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(14)
洪水で水没した谷中村の雷電神社(1907年ごろ、栃木県佐野市郷土博物館所蔵)この村泥棒メ! 1903(明治36)年10月8日夜。東京・神田の青年会館で、日露戦争に反対する「非戦論大演説会」が開かれた。...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(13)
鉱毒に苦しむ村の女性や子どもたち(1901年3月刊『足尾鉱毒惨状画報』、栃木県佐野市郷土博物館所蔵)ノミの愛撫でスヤスヤ 田中正造が、渡良瀬川下流にある小さな村「谷中(やなか)村」に住むようになったの...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(12)
鉱毒被害を受けた渡良瀬川沿岸の麦畑(1901年3月刊『足尾鉱毒惨状画報』、栃木県佐野市郷土博物館所蔵)衆議院は動物園なり 田中正造が直訴をした1901(明治34)年12月。足尾銅山の鉱毒問題への関心は...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(11)
鉱毒にまみれた土の除去作業(1901年3月刊行『足尾鉱毒惨状画報』、栃木県佐野市郷土博物館所蔵)敵討ちしてあげますぞ 毎日新聞の記者、木下尚江が初めて田中正造と会ったのは1900(明治33)年2月だっ...
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