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2021.05.22 08:55

夫はなぜ死んだのか 森友問題公文書改ざん・自殺職員の妻が、高知で語った2時間〈ニュースを歩く特別編〉

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赤木俊夫さんの手帳を手元に置いて話す妻の雅子さん。左手の薬指には俊夫さんの結婚指輪があった(17日、高知新聞社=森本敦士撮影)

 国有地の不透明な値引き売却が問われている「森友問題」を巡り、元財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さん(享年54)が自殺して3年が過ぎた。妻、雅子さん(50)は公文書の改ざんを強いられた夫の死の真相を求めて、国と佐川宣寿・元国税庁長官を相手に裁判を闘っている。俊夫さんが改ざんの経過をまとめた文書「赤木ファイル」の公開を求めていた雅子さんに対し、国は提訴から1年以上たった今月、ようやくファイルの存在を認めた。真実はどこまで明らかになるのか。雅子さんに話を聞きたいとコンタクトを取ると、雅子さん自ら高知へ来ると返答があった。問題への理解を広めようと全国への旅を始めるという。俊夫さんの素顔や自身の心境を約2時間にわたって語った。

新婚間もない頃の俊夫さんと雅子さん(大阪市内=雅子さん提供、画像を一部加工しています)

 夫の「トッちゃん」と出会ったのは1994年12月。私は地元岡山の高校を卒業し、倉敷市の薬局に勤める23歳でした。職場の先輩が夫と同じ書道教室に通っていて、「あなたにぴったり」と紹介してくれました。

 トッちゃんは八つ年上。当時、近畿財務局の和歌山事務所に勤めていました。私をすごく気に入ってくれ、2度目に会った時に「結婚しよう!」といきなりプロポーズ。私も彼に引かれて翌年6月に結婚しました。目には見えない引きつけ合うもの、運命的なものがあったと感じます。

 多趣味な彼は、書道の道具や備前焼のぐい飲みを集めたり、落語を見に行ったり。私の手帳を開いて、「この日は○○、この日は○○に行くからな」。どこでも一緒。私の趣味は「赤木俊夫」になっていました。

多趣味だった俊夫さん。収集した書道用具を手にほほ笑む(神戸市内の自宅)

 声が大きく、明るくて、よく笑って。良いとか悪いとか、物をはっきり言う人。私はそこが好き。子どもに恵まれず、夫婦2人だけの生活だけど、けんかもほとんどせずに幸せな毎日だった。あの日までは。

人間が壊れていく
 2017年2月、森友問題が明るみに出ました。夫は深夜2時、3時の帰宅が続いていました。久しぶりに休みが取れた26日、岡山から遊びに来た私の母と3人で神戸市の梅林公園を訪れていた時、夫の携帯電話が鳴りました。上司で統括の池田靖さんでした。

 「統括が朝から休日出勤しとるけど『手が回らん。助けてくれ』と言ってる。行ってくる」。そう言って夫は職場へ向かいました。まるで僕が助けに行くというふうに。後で分かったんですが、あの日、夫は公文書を改ざんさせられたんです。改ざんは3月7日にも行われていました。

 「僕は公務員として誇りを持っている」「僕の雇用主は国民なんです」

 生前、夫は親しい人にそう語っていたそうです。「改ざんには泣きながら抵抗した」とも聞きました。あんなに明るかったのに、改ざんの後、夫は笑わなくなりました。体調が悪くなるというより、赤木俊夫という人間・人格が徐々に壊れていったんです。

 夫はうつ病と診断され、7月から休職しました。「僕は犯罪者や」「内閣が吹っ飛ぶようなことをした」と繰り返していました。幻覚や幻聴も現れました。「本省(財務省)の指示でやったのに、自分でやったことにされる」と検察の捜査を恐れていました。

 翌18年3月2日、朝日新聞の報道で改ざん問題に火が付きました。私自身、夫が何に苦しんでいたのか初めて知りました。夕方、私が仕事から帰ると、暗い部屋の中で夫がぽつんと立っていました。テレビ画面には改ざん問題が映し出されていました。「僕がやったんや…」。夫はそうつぶやきました。

 「死ぬ」。夜中、夫はロープを持って外へ行こうとしました。「絶対にあかん」。私は足にしがみつきました。

 そんなことが毎日続きました。ある日、夫は私に馬乗りになって「おまえがおったら、僕が死ねん。死んでくれないか」。そう言って私の首を絞めてきました。

 抵抗はしませんでした。夫は優しいから、ぎゅっと絞めなかったんです。「寝よう。朝が来たら気分も変わるから」。私は必死に話しかけました。夫は一睡もできていなかったと思います。

森友で「殺された」
 「ありがとう」。普段はこたつや布団から出てこない夫が、珍しく玄関まで私を見送りに出てくれたのは3月7日の朝でした。

 「何言ってるのー」。そのまま仕事へ出掛けたものの、気になって職場から何度も夫にメールを送りました。午後4時を過ぎ、夫からの返信が途切れました。

 急いで帰宅しました。ドアを開けると、夫は居間で首をつっていました。中ぶらりんになった夫のベルトをつかみ、体を下から支えました。のどを絞めるコードが少し緩み、空気が入ってゴボゴボと音がしました。

 ああっ生きてる、と思いました。でも、はさみでコードを切ると夫は人形のように倒れました。この人は死んでいる。私はすぐ110番しました。森友で「殺された」と思ったから。やがて救急車のサイレンが近づいてきました。

 私たちは毎日毎日、「誰かに助けてほしい」と言い続けていました。横たえた夫に私は声を掛けました。「トッちゃん、やっと誰かが助けに来てくれるね、やっと楽になれるね…」

俊夫さんが自宅のパソコンに残していた「手記」のコピー

残された「手記」
 〈決裁文書の調書の差し替え(公文書改ざん)は事実です〉

 〈元は、すべて、佐川(宣寿)理財局長の指示です〉

 〈この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました〉

 夫は死の直前、自宅パソコンに財務省の改ざんに関する「手記」を残していました。死の翌日、近畿財務局の人たちが家にやって来て「(手記を)見せて」と言われました。私は断りました。

 「(財務省が改ざんを認めるまで)あと1週間か2週間待っとったら死ななくても済んだ」とも言われたんです。怒りがわきました。じゃあなぜ、生前に声を掛けてくれなかったのか。夫は「自分だけのせいにされる」と独り苦しんでいたのに。

 「近財は赤木に救われた」と言う職員もいました。じゃあなぜ、みんな手を合わせに来ないの? 私は麻生さん(麻生太郎財務相)に墓参りに来てほしかったのに、そんな遺族の意向さえもねじ曲げられたんです。

 夫が手記に記した佐川さんにも2度、手紙を出しましたが返事はありません。夫が信頼していた池田さんからも「もう会えない」と言われました。財務省と近畿財務局には不信感しかない。

「赤木ファイル」の全面開示を訴え、全国を回り始めた雅子さん(高知市本町3丁目)

黒塗り許さない
 なぜ、夫は死んだのか。問題の真相、真実を知るには裁判しかないと決意しました。20年3月、私は国と佐川さんに損害賠償を求める裁判を起こしました。

 「僕は自分がやってしまったことをメモに残している」「ドッジファイルにとじている」。夫は生前、私にそう話していました。今、裁判で注目されている「赤木ファイル」です。

 国は赤木ファイルの資料を黒塗りにすると言っているけど、私は絶対に許さない。夫がどうして苦しんだのか、苦しみの深さがそれで分かると思うから。

 夫が残した資料は国民の物です。国は夫が残した物の全てを公にすべきです。もう二度とこんなことが起こらないよう、高知の皆さんにも注目してほしいです。(構成=報道部・芝野祐輔)

〈森友問題と赤木ファイル〉国側6/23提出予定
 2016年6月、財務省近畿財務局は、大阪府豊中市の国有地を森友学園(大阪市)に払い下げる際、地中の「ごみ撤去費」として鑑定評価額から8億円余りを値引きし、1億3400万円で売却していた。

 この不透明な取引は17年2月に発覚。売却された土地に立つ小学校は、当時の安倍晋三首相の夫人、昭恵氏が名誉校長を務めており、夫人の関与や官僚の忖度(そんたく)が疑われた。国会で追及された安倍首相は「私や妻が関わっていれば首相も国会議員も辞める」と答弁した。

 18年3月、売却を巡る財務省の公文書改ざん疑惑が表面化。同月7日、改ざんに関与させられた財務局職員の赤木俊夫さんが自殺した。財務省はその後、17年2月以降に14件の文書を改ざんしたことを認めた。

 当時、同省理財局長だった佐川宣寿・国税庁長官は改ざんを主導したとして辞任に追い込まれた。佐川氏や同省職員らは土地取引を巡る背任や虚偽公文書作成などの容疑で刑事告発されたが、大阪地検特捜部は全員を不起訴として捜査を終えた。

 20年3月、俊夫さんの自殺の真相を知りたいと願う妻の雅子さんは国と佐川氏に計約1億1千万円の損害賠償を求め大阪地裁に提訴した。俊夫さんが改ざんの経過をまとめた文書「赤木ファイル」の公開を国に求めてきた。

 国側はファイルの存否を明らかにしてこなかったが、21年5月6日に存在を認めた。6月23日の第4回口頭弁論で提出する予定。ただ、国側はファイルは俊夫さんが個人的に作成した物で、職務上の行政文書ではないと説明。第三者の個人情報が含まれているとして黒塗りなどのマスキングを行う考えを示している。

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