美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
185記事
美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
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禁錮刑でも損はなし―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(16)
富田村(現栃木県足利市)で除去された汚染土(1901年刊『足尾鉱毒惨状画報』、栃木県佐野市郷土博物館所蔵) 1901(明治34)年10月12日。足尾銅山の鉱毒被害地の臨検(現場検証)最終日、一行は群馬...
モウぶったおれても―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(15)
久野村(現栃木県足利市)の汚染土除去作業(1901年刊『足尾鉱毒惨状画報』、佐野市郷土博物館所蔵) 足尾銅山の鉱毒被害地の臨検(現場検証)は、雨にたたられた。 〈終日雨やまず、秋山川の渡しで船から滑り...
十数時間も雨の中―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(14)
鉱毒被害地を臨検した一行。寒川鼠骨=前列左から5人目、田中正造=同7人目、堺利彦=前から2列目の左から3人目(1901年10月、佐野駅前、栃木県佐野市郷土博物館所蔵) 上京しようとした足尾銅山の鉱毒被...
のんきな鼠骨の骨休め―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(13)
寒川鼠骨が書いた単行本「新囚人」。1901年2月の初版(高知県立図書館・田岡典夫文庫所蔵) 寒川鼠骨(さむかわそこつ)は東京の巣鴨監獄で約2週間を過ごし、1900(明治33)年4月に出獄すると、すぐに...
怒って裁判を退席―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(12)
足尾町全景(現栃木県日光市、1895年刊『古河足尾銅山写真帖』)=国立国会図書館ウェブサイトより 1899(明治32)年秋。寒川鼠骨(さむかわそこつ)は新聞「日本」の編集兼発行人として官吏侮辱罪で訴え...
モジャひげの大男―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(11)
桜が満開の上野公園(1910年代の撮影) 20代半ばの寒川鼠骨(さむかわそこつ)が、新聞「日本」の名ばかりの編集兼発行人として、身代わりで監獄に入るはめになったのは、同紙の国分青崖(こくぶせいがい)が...
気の毒な貧乏くじ―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(10)
東山から望む京都の街(1907年刊『京都名所帖』)=国立国会図書館ウェブサイトより 寒川鼠骨(さむかわそこつ)は1874(明治7)年、現在の松山市三番町に生まれた。本名は陽光(あきみつ)。松山中学を経...
煙草ノミタイ―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(9)
煙草「ピンヘット」の広告 =1901年10月25日付「土陽新聞」 寒川鼠骨(さむかわそこつ)はあてがわれた布団1枚を折り返して体を包み、柏(かしわ)餅のようになって、鍛冶橋監獄の一夜を過ごした。 梅干...
お土産は2人です―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(8)
「巣鴨刑務所」と改称した後の巣鴨監獄(1930年刊『日本地理大系3 大東京篇』) みっちり馬車に押し込まれた寒川鼠骨(さむかわそこつ)たちが着いたのは、警視庁の隣にあった鍛冶橋監獄だった。 「いっぱい...
「寝るチュウ法はない」―美しき座標 平民社を巡る人々 第5部「獄中生活」(7)
1904年3月刊『警察監獄操典』に示された監獄職員の絵(国立国会図書館ウェブサイトより) 寒川鼠骨(さむかわそこつ)が放り込まれたのは4畳半ほどの空間だった。鉄の扉以外は白い壁で、すりガラスの窓一つか...
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