美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
185記事
美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
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世話がりの岡繁樹―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(26)
岡繁樹が1902年に渡米する際に撮った写真の裏表(安芸市立歴史民俗資料館所蔵) サンフランシスコで幸徳秋水を待つ岡繁樹(元万朝報(よろずちょうほう)記者)は、さまざまな職業を重ねている。苦労してもへこ...
テキサスの米作り―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(25)
1915年までの30年間で増加した日本郵船の船客数を表現した絵(1915年刊『創立満三十年記念帖』) 海外移住を仲介すれば大もうけになる話は、少なからぬ人の心を惑わせた。社会主義者の片山潜にまつわる話...
人材派遣で大もうけ―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(24)
養殖業者のため、エビを毎日捕る5歳と3歳の姉妹(1911年3月、ミシシッピ州=ルイス・ハイン撮影) サンフランシスコでスクールボーイをしていた数人が、ほかの若者たちに働き口をあっせんし、大もうけした話...
働き先で食って寝て―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(23)
客船の喫煙室。子どももくつろいでいる(1901年刊『郵船図会』) 住み込みで家事を手伝い、学校へ通うスクールボーイは週に1~3ドルをもらえた。学校へ行かず、終日家事をすると週3~4ドルになった。 それ...
働く6歳の子ども―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(22)
米バージニア州のガラス工場で働く少年(1911年、ルイス・ハイン撮影) スクールボーイは、渡米少年の学業への足掛かりになる働き口だった。それは一方で、生活のさまざまなことが金銭に換算されるという側面を...
ヘコヘコしないで―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(21)
幸徳幸衛=左=と秋水(四万十市教育委員会提供) 住み込みで家事を手伝いながら学校に通うスクールボーイという働き方は、日本の青少年が米社会に溶け込む最初の足掛かりだった。では受け入れてくれる家庭は、どう...
まずはスクールボーイ―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(20)
渡米前に故郷へあいさつに戻った幸徳幸衛(高知市の個人蔵) 幸徳秋水は伊予丸で米へ出発する前、15歳のおい幸衛(ゆきえ)についてこんな手紙を書いていた。 〈今まで中学校に通っていたのですが、小生がいなく...
濡れ草履でピタピタ―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(19)
長崎港で汽船に石炭を積み込む人々(高知市一宮の歯科医、島崎誠さん所蔵) 〈水夫は毎朝早起きし、甲板上を洗浄する。金剛砂を散布し、ささらのごとき竹ぼうき(あるいは椰子(やし))にて擦(す)り磨き、ハンド...
叔父は文句ブリブリ―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(18)
幸徳秋水たちが乗った伊予丸の絵はがき(高知市一宮の歯科医、島崎誠さん所蔵) 幸徳秋水には、亀治という兄がいて、その一人子が幸衛(ゆきえ)である。亀治が1902(明治35)年秋に亡くなった時、12歳の幸...
幸衛のトラコーマ―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(17)
船内の理髪室(1901年刊『郵船図会』) 太平洋上で、幸徳秋水が漢詩を詠んだ時は、穏やかな天気だったようだ。1905(明治38)年11月23日の日記に彼は記している。 〈今朝の風は静かで、波は平らかだ...
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