『いのぐ』第1部 昭和南海地震の記憶
高知新聞社が2016年、始めた防災プロジェクト「いのぐ」。古い土佐の方言で「しのぐ」「生き延びる」の意味。命を守る取り組みを県民・読者と一緒に前へ進めたい。
12記事
『いのぐ』第1部 昭和南海地震の記憶
高知新聞社が2016年、始めた防災プロジェクト「いのぐ」。古い土佐の方言で「しのぐ」「生き延びる」の意味。命を守る取り組みを県民・読者と一緒に前へ進めたい。
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昭和南海地震の記憶(1)潮が 急に いごいた
自宅近くの避難路を上る浜田芳三さん。70年前、地震が起きた時、海の上にいた(土佐市宇佐町、岡崎晴光撮影) 漁船が行き交うたびに、海面が静かに揺れる。湾の内側の海はのっぺり穏やかで、冬の光にきらきらと輝...
昭和南海地震の記憶(2)舟はほたくれ 死ぬぞ!
1946年12月21日未明。当時13歳だった土佐市宇佐町の浜田芳三(よしみつ)はアジ漁のため、海へこぎ出していた。 同じ宇佐の漁師、鳴滝勇喜たちが船上で何度も首をかしげていたのは、少し時間をさかのぼ...
昭和南海地震の記憶(3)高台から眺めた津波
海に出ていた漁師が船上で異変に気づいたころ、土佐市宇佐町では人々が騒然となっていた。1946年12月21日。まだ夜は明けていない。 ■ ■ 吉市徳美の家は、町の中心に近い集落にあった。当...
昭和南海地震の記憶(4)慾ヲ棄テテ逃ガレタ者
前回までの3回、昭和南海地震が起きた時の土佐市宇佐町の様子を再現ドキュメント風につづった。70年前の出来事を書き起こす、その最初の場所に宇佐町を選んだのには幾つかの理由があった。 その一つは高知県内...
昭和南海地震の記憶(5)轟音 意識が遠のいた
幡多郡中村町は「土佐の小京都」として栄えてきた。四万十川と後川に挟まれた町には縦横に道が走り、大きな通りには一本一本名前が付いている。明治、大正期に建てられた商店や民家も多く、1946年当時は1万人...
昭和南海地震の記憶(6)イモ俵に救われた命
がれきの中で永野恵(けい)は目を覚ました。どれくらい時間がたったのか分からなかった。それでも、「地震があったんだ」ということはすぐに理解した。 体がどうにかなっているのではないかと怖かったが、不思議...
昭和南海地震の記憶(7)手つないだまま息絶え…
地震の後、中村町で火災が広がった。黒煙を上げているのは「四国配電中村営業所」(中ノ丁)とみられる 1946年12月21日未明、高知県西部の中村町。17歳の芝千里(ちさと)の家は一條神社の北側、中ノ丁に...
昭和南海地震の記憶(8)「足を切ってくれ!」
地震直後に広がった猛火で多くの人が焼死した中村町本町付近 家の倒壊で父を亡くした中村町の芝千里(ちさと)は、父のほかにも身近な人たちを亡くしている。 近所に住む「てっちゃん」は、17歳の千里と同い年...
昭和南海地震の記憶(9)引き潮 鏡川の底見えた
昭和南海地震が起きた時、県中央部の高知市は地盤が1メートル余り沈降したことが後の調査で分かっている。 市内で3千戸以上が全半壊し、多くの人が家の下敷きになった。川沿いの堤防も各所で損壊した。そこへ浦...
昭和南海地震の記憶(10)食べ物も毛布もなく
屋根の上に座り、浸水した町をぼうぜんと眺める住民(高知市の下知地区) 浦戸湾に注ぐ高知市の国分川。その下流に架かる葛島橋の西岸の堤防が決壊した。 堤防が壊れたのは最初の揺れの時だったのか、その後だっ...
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