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2016.01.08 08:00

昭和南海地震の記憶(7)手つないだまま息絶え…

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地震の後、中村町で火災が広がった。黒煙を上げているのは「四国配電中村営業所」(中ノ丁)とみられる

地震の後、中村町で火災が広がった。黒煙を上げているのは「四国配電中村営業所」(中ノ丁)とみられる

 1946年12月21日未明、高知県西部の中村町。17歳の芝千里(ちさと)の家は一條神社の北側、中ノ丁にあった。

 カタカタカタカタ。千里ははっと目を開いた。床や周囲の物が小刻みに揺れている。これ以上は揺れが大きくならないよう祈るような気持ちだったが、揺れは大きく激しくなった。家が壊れるんじゃないかと怖くなった。

 「千里、危ない! 外に出ようっ!」

 隣室で寝ていた父が大声で叫んだ。穏やかな性格の父から初めて聞くような荒い声だった。

 千里は身をかがめて動き、ふすまを開け、父の部屋に飛び込むように入った。父が千里の手を引いて外へ出ようとした、その時だった。

 バリバリッバリ―。

 轟(ごう)音をたてながら柱が折れた。壁が崩れ、天井も落ちた。2人はそのまま床に倒れ込んで、何かの下敷きになった。

 父と千里は手を握り合ったままだった。

 「お父さんっ」。うつぶせに横たわっている父に向かって呼び掛けた。返事がない。父の首の後ろに何かの部材が覆いかぶさっていた。「お父さんっ、お父さんっ」。握ったままの手を揺らし、叫び続けた。しかし、反応はない。父の手が次第に冷たくなっていくのを感じた。

 千里の上半身には、天井板か何かが覆いかぶさっていた。体を起こし、頭を持ち上げると、その部分にぽっかり穴が開き、千里はそこから外に出た。家はつぶれていた。向かいの家もぺちゃんこに伏していた。

 11年前に母を亡くし、父と2人で暮らしてきた。千里がいま頼れるのは、近くに住む伯父しかいない。

 霜が降りている道を伯父の家へ走った。着くと、伯父の家は1階がつぶれていて、2階部分だけが形を残していた。それでも一家はなんとか無事だった。

 伯父が1人で千里の家へ行き、しばらくして戻ってきた。沈痛な面持ちだった。父は息絶えていた、と告げられた。父の首に幅15センチほどの鴨居(かもい)が直撃し、骨が折れていた。

 父を家の外へ出してあげたかったが、そうもいかなかった。伯父は近所で起きている火災の消火に当たらなければいけなかった。千里たちは近くの空き地に避難した。

     ■  ■

 中村町は宇佐町などのように大津波に洗われることはなく、むしろ激震による家屋倒壊とそれに伴う火災の被害が大きかった。その中で、当時の県内の市町村で最も多い死者が出ることになった。

 はじめに火の手が上がったのは一條神社北側の本町。火はみるみるうちに東の方に広がり、中ノ丁の家々も猛火に包まれた。

 警防団の拠点は一條神社の前に立つ警察署に入っていて、そこからポンプ車などが次々と出た。

 警防団員たちは周辺の井戸からホースを引っ張り、消火活動を始めた。ところが、その井戸の水が10分ほどで枯れた。

 このころ、町中には空襲の焼夷(しょうい)弾に備えて、貯水槽も各所にあった。ポンプ車はその貯水槽へ行こうとしたが、倒壊家屋が道路をふさぎ、思うように移動できなかった。川から水を直接くみ上げようとする一団もあったが、堤防上にできた大きな亀裂が作業を妨げ、消火は思うに任せなかった。

 指示を出す警防団員たちの怒声、助けを求める住民の叫び声が町のあちこちに響いていた。

 火は、中ノ丁や本町一帯を焼き尽くした。=敬称略(報道部・村上和陽)

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