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2016.01.07 08:00

昭和南海地震の記憶(6)イモ俵に救われた命

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 がれきの中で永野恵(けい)は目を覚ました。どれくらい時間がたったのか分からなかった。それでも、「地震があったんだ」ということはすぐに理解した。

 体がどうにかなっているのではないかと怖かったが、不思議と痛みは感じなかった。腹ばいのまま首を動かしてみた。自分は何かの隙間にいるのだと分かった。頭のすぐ上に太い梁(はり)が横たわっていた。縁側に置かれていたイモ俵の上に梁が落ち、そのためにできたわずかな空間が恵を救っていた。

 天井を思い切り手で押し上げると、庭に出ることができた。まだ暗い中、空が赤く見えた。火事が起きていることが分かった。

 外に家族の姿は見えなかった。母は体が弱い。驚かすといけないと思い、「火事」だとは叫ばなかった。18歳の恵は自分が冷静でいることに少し驚いた。

     ■   ■

 兄夫婦は2階で寝ていたはずだ。頼りになる兄をとにかく助け出さなければ、と思った。

 「お兄ちゃーん、お兄ちゃーん」。ひしゃげた家に向かって呼んだ。「おーい」と答える兄の声がした。ほっとした。がれきの中で何かをドンドンとたたく音も聞こえた。崩れた屋根の上をはいながら、音の方へ進んだ。

 「お兄ちゃん」と繰り返しながら、瓦をはがした。天井の板を手でたたき、隙間をつくった。兄も内側からがれきを取り除いていた。やがて2人の手がつながった。弟は、恵と同じように梁と長火鉢の間の隙間で難を逃れ、義姉も無事に外に出てきた。

 空が白み始め、辺りの様子がだんだんのみ込めてきた。自分の家は横倒しになってつぶれている。北隣の警察官舎は、こちらに寄りかかるように倒れている。東側の家も原形を失っていた。

 母の留於(とめお)と、近所から遊びに来ていた4歳のミチヤスはまだ家から出てこず、中にいた。がれきの中から留於の弱々しい声が聞こえた。

 「大丈夫…。大丈夫やけどね、ミチヤス君がね、『痛い、痛い』って」

 恵は気がせいた。

 留於は昼すぎ、駆けつけた警防団の人たちに助け出された。ミチヤスは足を柱に挟まれていて、救出に時間がかかった。ミチヤスがようやく外に出られたのは、夕方だった。

     ■   ■

 恵の家は幸い、全員無事だった。しかし、警察官舎では1人が下敷きになっていた。前夜に昇進祝いをした警察官だという。後日、遺体が運び出された。

 東隣の家では母子3人が犠牲になった。逃げ遅れた娘を連れ出そうと、赤ちゃんを抱えた母親が中に入った時に家がつぶれたらしかった。恵は、子と妻を失った男性からその様子を聞いた。

 中村町は壊滅状態だった。

 小京都らしいたたずまいを見せていた老舗の呉服店や旅館も、1階部分が上階に押しつぶされ、屋根は波打つようだった。町のあちこちで、崩れた家に向かって名前を叫ぶ人たちがいた。住民や警防団が消火作業に追われていた。赤鉄橋の橋げたが落ちている、と恵が聞いたのは数日後のことだ。

 恵の家族は、21日夜から庭で寝起きした。地面に板を敷き、庭の木と木の間に戸板を渡して、屋根のようにした。がれきを燃やし、暖を取った。

 翌日、父の栄次が出張先の清水町から自転車で戻ってきた。恵は何があったか早口でしゃべり、栄次の背につかまって泣いた。「偉かったぞ」。そう言った父の体も震えていた。=敬称略(報道部・村上和陽)

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