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2016.01.03 08:00

昭和南海地震の記憶(2)舟はほたくれ 死ぬぞ!

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 1946年12月21日未明。当時13歳だった土佐市宇佐町の浜田芳三(よしみつ)はアジ漁のため、海へこぎ出していた。

 同じ宇佐の漁師、鳴滝勇喜たちが船上で何度も首をかしげていたのは、少し時間をさかのぼった前夜のことになる。

 鳴滝たちの狙いはサバだった。しかし、前日まで相当釣れていたサバがこの日は一匹も釣れない。「どういたことなら」「なんちゃあ当たらんが」。鳴滝はこの年、17歳。船上にいた5、6人のベテラン漁師らが口々にぼやいていた。

 鳴滝たちが宇佐の港を出たのは12月20日の夕方、漁場は2時間ほどいった沖だ。船のへりに付けた電球で水面を照らし、光でサバをおびき寄せる。船を安定させるため、布袋状のいかりを海に下ろし、潮の流れに任せて糸を垂らした。

  しかし、糸をたぐり寄せると、先の方にヘドロがまとわりついていた。茶色と緑色を混ぜたような暗色で、何かが腐ったような臭いもした。何度やっても同じ。それまで経験のないことだった。

 船は波に揺れ、ギシギシと音を立てていたが、船上の漁師たちは黙り込んで静まり返っていた。朝方までの長丁場、いい漁になるなる、と思っていたのだが、いっこうに釣果は上がらない。皆、キツネにつままれたような気分で早々に漁を切り上げた。

  港に戻ったころ、日付は21日に変わろうとしていた。

     ■  ■

 浜田芳三たちの舟は21日未明、宇佐の町からそう遠くない横浪半島の東側「竜岬」の近くにいた。父の丑之助、長兄の文男が一緒に乗り込んでいる。

 後の記録によると、海面に異変が起きたのは、午前4時20分ごろだったとみられる。

 突然、内海の穏やかな海がざわついた。小さな木舟が大きく揺れ始めた。強い風雨や高い波に遭ったことはそれまでにもある。しかし、その時とは何か様子が違った。慌てて舟にしがみついた。「こりゃあ、いかん。引き返すぞ!」。父が叫んだ。

 芳三は何か尋常ではない事態が起きているのだと悟り、必死で櫓(ろ)をこいだ。なんとか浜にたどり着き、いかりをいつものように浜に下ろそうとすると、父が怒鳴った。「舟はほたくれ。死んでしまうぞ。逃げないかん!」

 急いで家に戻ると、姉や弟が寝間着から外行きの服に着替えていた。戦時中から、空襲の際にすぐ逃げられるよう、枕元に着替えを置いておく習慣が身に付いていた。

 まだ暗い宇佐の町に大声が響いていた。

 「津波がくるぞーっ! 津波が来るぞーっ!」

 幼い弟は姉が背負った。家の入り口は地震の揺れで傾き、狭くなっていた。姉はそこを蹴って広げた。

 父が庭の井戸をのぞき込んで言った。「水が引きゆう。大ごとや…」。父にせかされるように家を出た。目指したのは、集落の裏手にある山だ。

 芳三は肩に毛布を抱え、片手で母種尾(たねお)の手を引いた。集落と山手との間にある萩谷川の石橋を渡り、真っ暗な道を山へと300メートルほど走った。

 山の中腹辺りまで上がった時だった。集落の方から、なんとも言えない不気味な音が聞こえた。

 ゴゴゴゴ…バキバキバキ…。

 母が芳三の背中を抱きしめてきた。芳三はそれをふりほどき、山をさらに駆け上がり、町の方を見た。

 波が2回、3回と押し寄せているのが暗闇の中でも分かった。ゴゴゴ、バキバキ…。引き波が家々を海に引きずり込んでいた。=敬称略(報道部・海路佳孝)

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