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2023.09.22 11:46

「らんまん」万太郎と寿恵子が終の住処・練馬(大泉村)へ 史実でも牧野富太郎の妻、寿衛が家を構える

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©️NHK

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 朝ドラ「らんまん」で、万太郎(神木隆之介)と寿恵子(浜辺美波)は関東大震災で被災し、根津の十徳長屋から渋谷に避難しました。寿恵子が待合茶屋「山桃」を構えた頃にはまだまだ未開拓だった渋谷も、地震で被災した人らが流入し、騒がしくなってきました。

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 寿恵子は息子の百喜と大喜に、渋谷から離れたもっと広い土地を探してほしいと頼みます。「穏やかで、のどかなところ。お父ちゃんが落ち着いて仕事ができる場所」を。そして第125話の最後では、寿恵子と万太郎が農村風景が広がる練馬大根の産地、大泉村にいました。寿恵子が広大な空き地を見渡して万太郎に言います。

「この土地、私が買いました。あなたと、あなたの標本を守るために」

©️NHK

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 これは史実に基づいたエピソードです。万太郎のモデルの牧野富太郎博士は、居を構えていた渋谷で関東大震災に遭遇。幸い標本のほとんどは既に神戸に送っていたため、ドラマの万太郎のように大きな被害はありませんでしたが、牧野博士の妻、寿衛は震災による大火を見て危機感を覚えたようです。「牧野富太郎自叙伝」から引用します。

 「妻の意見では都会などでは火事が多いから、せっかく私の苦心の採集になる植物の標本などもいつ一片の灰となってしまうか判らない。どうしても絶対に火事の危険性のないところというので、この東大泉の田舎の雑木林のまん中に小さな一軒家を建ててわれわれの永遠の棲家としたのです」

 寿衛が家を建てた場所は、まだ武蔵野の面影が残る雑木林でした。大泉の土地を紹介したのは、ドラマのように息子たちではなく、若い頃に牧野博士の書生をしていた大泉村役場の書記・芹沢薫一郎と、植物好きの同役場収入役・渡辺徳右衛門でした(「シン・マキノ伝」より)。

牧野博士の住宅跡に整備された練馬区立牧野記念庭園(東京都練馬区東大泉)

牧野博士の住宅跡に整備された練馬区立牧野記念庭園(東京都練馬区東大泉)

 「牧野富太郎自叙伝」によると、寿衛は牧野博士の家の標本館を中心に「東大泉に一つの植物園を拵(こしら)えて見せよう」という理想を描いていたといいます。その夢はかないました。現在、牧野博士の終(つい)のすみかとなった東大泉の住居跡は、練馬区立牧野記念庭園となり、300種類以上の植物が人々を出迎えています。

 ドラマは、25日からいよいよ最終週に入っていきます。万太郎と寿恵子は、東大泉にどんな家を建て、どのような夢を描くのでしょうか。(楠瀬健太)

■牧野博士の「真実」浮き彫りに 最新評伝「シン・マキノ伝」刊行  練馬区牧野記念庭園の田中純子学芸員執筆

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