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2023.09.14 07:46

資産家の青年・永守徹が万太郎を支援 モデルは京大法学部学生の池長孟 牧野富太郎の標本を買い取り借金解消【連載記事復刻】篤志家は大学生だった

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©️NHK

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 朝ドラ「らんまん」で早川逸馬(宮野真守)は、神戸の資産家だという永守徹(中川大志)を万太郎に引き合わせました。永守は万太郎の植物標本の保管と植物図鑑発刊のための費用を支援したいと告げます。京都帝国大学を卒業したばかりだという青年の思いがけない申し出に、万太郎と寿恵子(浜辺美波)の2人は当惑もします。

 実はこれも史実に沿ったエピソードです。資産家の青年は、当時は京都大学の学生だった池長孟(いけなが・はじめ)だと考えられます。

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 大正5(1916)年のことでした。牧野富太郎の経済的な困窮は極まっていました。膨大な借金を抱えていたのです。借金を返済するには植物標本を売却するしかない。そこまで追い詰められており、そのことが朝日新聞の記事になったのです。

 記事が掲載された直後、池長は牧野の標本を全て買い取って借金を解消しようと申し出をしたのです。牧野は青年の熱意に歓喜しました。

 史実はどうだったのか。過去の連載記事を復刻しました。

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らんまん第24週について記者が語る音声コンテンツです。池長孟と牧野富太郎の関係も解説しています。




『淋しいひまもない 生誕150年 牧野富太郎を歩く』(36)篤志家は大学生だった

 牧野富太郎の経済的困窮は、京都大学法学部に通う学生によって救われた。

 
池長孟と牧野富太郎(高知県立牧野植物園所蔵)

池長孟と牧野富太郎(高知県立牧野植物園所蔵)

名は池長孟(はじめ)といい、当時54歳だった牧野より30歳ほども若い25歳の青年である。

 1891(明治24)年に神戸市兵庫区に生まれた池長は、資産家であった池長家の養子に迎えられ、養父の莫大(ばくだい)な財産を若くして引き継いでいた。

 このころ、後に立憲政友会総裁となる久原房之助(当時、日立製作所などを設立していた実業家)も牧野を援助しようと手を上げていた。それを断り、大学生からの申し出の方を受けた理由を牧野は特に書き残してはいない。財界の大物からの支援により、何かのしがらみが生まれることなどを懸念したのだろうか。
     □
 牧野の貴重な標本が海外に流出するかもしれない。池長は新聞記事を読んで心を動かされ、新聞社に駆けつけた。そして標本を買い取ることを申し出た。そればかりでなく、買い取った標本はそのまま牧野に寄贈しようという。若者の純粋な篤志だった。

 電光石火のごとく、話は進む。

 牧野窮状の記事が朝日新聞に掲載されたのは1916(大正5)年12月18日。直後に池長の申し出があって、牧野はすぐに妻と東京から神戸に向かい、同24日、池長に面会する。

 「牧野富太郎と神戸」の著書のある元兵庫県生物学会会長、白岩卓巳さんによると、自ら牧野家に出向くことにしていた池長は急な来神に驚いたらしい。

 そして4日後、今度は池長が上京して、牧野の債権者と会って交渉。同30日には、はや朝日新聞記者、長谷川如是閑(にょぜかん)の神戸の自宅で援助の正式契約を結んだ。

 契約は以下のようなものだった。

 ・10万点の植物標本を3万円で買い取り、それを牧野富太郎に寄贈する
 ・牧野家へ月々若干の援助をする
 ・会下山(えげやま)の正元館に標本を保管し、新たに植物研究所を設立する
 ・毎月1回は神戸に行って研究する

 会下山の正元館とは、小学校の講堂を移築した建物で、池長の父が所有していた。ここを植物研究所にすることにした。契約には買い取った標本を寄贈するという項目もあるが、牧野もさすがにそこまでは、と思ったのだろう。それは固辞した。

 〈池長植物研究所の名も実は牧野植物研究所とすべきであったが、私は池長氏に感謝の実意を捧(ささ)ぐるためにその研究所に池長の姓を冠したのでした〉(自叙伝)
 こうして、牧野の借金問題は解決をみた。
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 ところで、当時の3万円は、どれぐらいの価値を持つのか。白岩さんは「米価や当時の経済状況から推測して、おそらく1億円ぐらいではないか」とする。
 牧野は晩年に書いた「自叙伝」で振り返っている。

 〈新聞社で相談をしてくれた結果、この池長氏の好意を受ける事になって、池長氏は私のために二万円だか三万円だかを投出(なげだ)して私の危急を救うて下された。永い間のことであり私の借金もこんな大金になっていたのである〉

 「大金」だという認識はあるものの、「二万円だか三万円だか」という牧野の表現には驚いてしまう。その差額は大変なものだ。

 おおざっぱな書き方にすぎなかったのかもしれないが、牧野の金銭感覚に触れるような感じがする。
     □
 会下山に向かった。(2013年2月18日付、社会部・竹内一)

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■牧野博士の「真実」浮き彫りに 最新評伝「シン・マキノ伝」刊行  練馬区牧野記念庭園の田中純子学芸員執筆

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