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2023.01.17 08:30

「牧野を救った神戸の大学生」 シン・マキノ伝【43】=第4部= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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牧野富太郎の肖像写真(大正5年3月、個人蔵)

牧野富太郎の肖像写真(大正5年3月、個人蔵)

 ついに牧野富太郎は困窮して、研究する上で絶対に欠くことできない標本を売るとまで考えざるを得ないほどになってしまった。41回目の記事で、標本は植物学者にとってパワーであって、大学を追われるときの拠り所であり、お宝のような存在であるという牧野の考えを紹介した。その標本を、である。

 こうした牧野のピンチに関する記事が東京朝日新聞に掲載された。大正5(1916)年12月16日の朝刊であった。見出しは「不遇の学者牧野氏 植物標本10万点を売らん」で、さらに小文字で「▽生命を賭して収集した珍品を ▽手放さねばならぬ学者の心事」とある。そして、こんな書き出しではじまる。「植物記載学の大家として誰知らぬものなき牧野富太郎氏は年毎に迫り来る家計不如意の結果負債山積し其の始末に窮して今回三十余年間に亙(わた)りて実地採集したる植物標本の珍品十万点を売却して此急場を脱せんとして居る」と。その噂を聞いた記者が小石川にある牧野の邸宅を訪ねて、…

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