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2024.01.18 09:00

神対応ってこのこと?愛宕の角地にある「広松百貨」は宝の山【定年のデザイン無料試し読み⑥】担当編集者が選んだ7編をどうぞ!

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 高知県立牧野植物園デザイナーだった里見和彦さん(66)が定年退職後の日々をつづったエッセー「定年のデザイン」が出版されました。高知新聞に連載されて好評だったエッセーの書籍化で、掲載された70編に書き下ろし30編を加えた増補版です。自宅の4畳半の部屋をオフィスとしたり、生活にめりはりをつけるための朝の散歩を「自宅への通勤」と名付たり。里見さんのボタニカルで穏やかな日常と回想が行き来する心温まるエッセー集です。書籍化を記念して、担当編集者が7編を選びました。新聞連載時と同じように毎週水曜日に更新していきます。

退職後をどう生きよう? 里見和彦さん「定年のデザイン」刊行 高知新聞人気エッセー待望の書籍化!新たに30編書き下ろし

あたごのハロッズ「広松百貨」

 うちの庭にはメダカが泳げるくらいのささやかな池もあったりするので、夏になると蚊が出没する。妻はベランダに洗濯物を干すとき、小さな金物のバケツに蚊取り線香を入れて足元に置いている。先日、そのバケツに乗せる網があるといいなという。ちょっと目をはなした隙に、バケツの中に葉っぱや洗濯物が落ちて火事になったら大変だなと思ったらしい。

 さっそく僕は郵便局へ行った帰りに、あたご商店街の日用雑貨店「広松百貨」に立ち寄った。ここは僕が子どもの頃からある老舗で、店頭にずらりと並べられたシルバーカーは熟年層の多い街のニーズを的確に捉えている。お彼岸の頃には墓詣り用の榊や菊、また季節の果物(ミカンとか)や野菜が陳列されていることもある。商機を逃さない経営姿勢はとても立派だし、毎朝大量の商品を店の前に陳列し、夕方になるとそれらを取り込んでシャッターを閉めるところも勤勉だなぁと感心する。

 この日、お店にはマスクをした白髪のご婦人と、少し若めの婦人がいて、僕が「金属の網のような‥」と言いかけると、白髪婦人が素早く巻き尺を伸ばし「何センチ?」と聞いてきた。「30センチくらいかな」と言うと、「何に使う?」と聞くので「あのー、バケツに蚊取り線香を入れ…」と言い終わる前に、白髪婦人は若めの方に「〇〇ちゃんあれを」みたいに目配せし、僕が若めの婦人のあとについて棚の裏側に回ると、早くも彼女は僕の求めていたドンピシャなものを手にして「これでどうですか」とガスコンロ用の焼き網を差し出した。なんという見事な連携プレーと素早い対応!それは、わずか1分足らずの出来事だった。(ちなみに価格は100円)

 または去年のちょうど今ごろ、道路に面した庭の石積みに、スズメバチが巣を作っているとご近所さんが教えてくれた。道ゆく人を刺したら大ごとなので、僕は殺虫剤を買いに量販店に行きかけて、せっかくなら地元の商店にお金を還元したほうがよいと思い直し、広松百貨を訪ねた。その時も白髪のご婦人がてきぱきと対応してくれ、「最近あんまり出ないけど、たしかこの辺に…」と、下から上までみっちりと商品が詰まった棚のてっぺんの方に手を伸ばし、すこーし埃のかぶった強力殺虫スプレーを取り出し「やったことある?」と聞いてきた。「いや、見たことはあるけど」と言うと、白髪婦人は売り物の蜂防護用ネットを被ってレクチャーしてくれた。ついでにそれも買って帰り、みごとに一匹残らず蜂を退治することができた。(合掌)

 または3年前、自宅に事務所を作ったときのこと、図面なんかの資料を保管するケースが欲しくて適当なものがないかと広松百貨に出かけ、おびただしい数の商品が並ぶ1階から2階の隅々まで探し回っていると、白髪婦人が声をかけてくれた。細かく婦人の問に答えたところ「うーん、それはねぇ、ホームセンターで材を買って作られた方がいいと思いますよ」と、店の商品を売ろうとするのではなく、僕の要望をきちんとキャッチして最善の答えを出してくれた。なんだか清々しい風が吹いたようで、「神対応ってこのこと?」と思ったことだった。

 その時から僕の中でこの店の株はグーンと上昇し、「あたごのハロッズ」というキャッチコピーが生まれた。ハロッズはロンドンにある老舗高級百貨店で、ディスプレイが素晴らしく、夢がいっぱい詰まった宝の山のような店だ。スケールはだいぶ違うけど(ごめんなさい)愛宕通りの角地に建つ広松百貨の佇まいは、なんとなくそれに似ているのだ。そしてなによりも失われつつある、店の人との対話という”宝物”がここにはあるのです。(文とスケッチ・里見和彦=展示デザイナー・高知市愛宕町在住、書き下ろし)

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