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2023.12.20 11:43

【定年のデザイン無料試し読み③】編集者が選んだ心温まるエッセー7編をどうぞ!3編目は牧野富太郎記念館を設計した内藤廣さんとの思い出です。

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 高知県立牧野植物園デザイナーだった里見和彦さん(66)が定年退職後の日々をつづったエッセー「定年のデザイン」が出版されました。高知新聞に連載されて好評だったエッセーの書籍化で、掲載された70編に書き下ろし30編を加えた増補版です。自宅の4畳半の部屋をオフィスとしたり、生活にめりはりをつけるための朝の散歩を「自宅への通勤」と名付たり。里見さんのボタニカルで穏やかな日常と回想が行き来する心温まるエッセー集です。書籍化を記念して、担当編集者が7編を選びました。新聞連載時と同じように毎週水曜日に更新していきます。

退職後をどう生きよう? 里見和彦さん「定年のデザイン」刊行 高知新聞人気エッセー待望の書籍化!新たに30編書き下ろし

内藤廣さんとの30年

 元旦からおだやかな晴天が続いている。父が遺した庭のソシンロウバイが、蝋(ろう)細工のような黄色い花を開き、爽やかな香りを漂わせている。

 今年5月、日本は新しい元号に変わる。このニューイヤーに、僕が38歳から5年間かけて展示を設計した牧野植物園の牧野富太郎記念館が開館20年を迎える。

 高知を離れ東京でデザイン事務所を立ち上げ、展示デザイナーとして仕事をしていた僕は、行きの飛行機か帰りの飛行機か分からなくなるくらい東京―高知を行ったり来たりしながら、この建物の展示を熱量を込めて設計していった。完成後はUターンし、定年まで職員として17年をここで過ごした。

 今ではすっかり五台山の風景に溶け込み、樹木の中に埋もれているように見える建物。20年という時間はこの建物が内包する小さな木の葉みたいなたくさんの出来事を、その流れの底に沈めているように感じる。

 2年前に僕が植物園を退職したことで、この建物にかかわり、共に汗を流した数多くの人たちの木の葉のような無数の物語を知る機会はとても少なくなっていくだろう。

 この建築を設計したのは現在日本を代表する建築家の一人である内藤廣(ひろし)さんだ。

 彼の代表作といえる三重県鳥羽市にある「海の博物館」(以下、海博)のプロジェクトで、僕は1989年から3年半、展示デザインを担当した。その縁がひとつのきっかけとなり、牧野富太郎記念館の建築を彼が設計することにつながった。(知らない人も多いだろうけど)

 海博のプロジェクトは、内藤さんの建築家としての方向性を決定づけるような過酷で輝かしい仕事だった。予算の制約が厳しい上に、設計する時間が長いと、様々なアイデアやデザインはふるいにかけられ、削ぎ落とされ、どんどんシンプルになっていく。そうして7年という時間をかけて生まれたこの建築は“建物”というものの原形のような、つつましやかで、根源的な美しさを持っている。

 1992年の春、海博の建築が完成した時、建ったばかりの研究棟の一室で内藤さんと夜を明かしたことがある。風の吹く寒い夜だった。僕がコタツに丸まってこれからはじまる展示工事の図面を描いていると、内藤さんは半身を寝袋に入れたまま、奥さんに電話をかけた。「おい出来たよー。うん、建ったよ、うれしいよー」すぐ横にいる僕に遠慮することなく42歳の内藤さんは子どものように、共に苦労した奥さんに喜びを伝えていた。

 僕はあの夜の内藤さんを今も自分のことのように誇らしく思い出す。その頃の日本の建築界は彼の仕事を認めていなかった。バブル経済に浮かれた過剰なデザインの建築物が日本中に建てられていた時代だ。

 海博の完成と時を同じくしてバブルは崩壊し、建築業界は徐々に内藤さん側に思考を反転させていったように僕の目には映る。彼は「海の博物館」で建築学会賞をはじめ数々の賞を受賞する。そんな周りの変化や評価にも、彼自身は変わることなく、建築の探求を続け、7年後に高知の五台山の尾根に、牧野富太郎記念館がぽとりと産み落とされることになる。

 そんな内藤さんたちと、この1月23日に県立美術館でトークイベントをやる。彼と親交の深かった写真家の石元泰博さんが撮った、建築がテーマの企画展関連イベントだ。僕は内藤さんとの仕事の中で体験してきた小さな木の葉のような出来事のいくつかを、お話ししたいと思っている。(文とスケッチ・里見和彦=展示デザイナー・高知市愛宕町在住、2019.1.9日掲載)

高知のニュース WEB限定 本紹介 牧野富太郎

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