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2024.01.10 13:23

幅50センチ奥行き35センチ。その小さく質素な机から、大きな仕事が生まれました【定年のデザイン無料試し読み⑤】担当編集者が選んだ7編をどうぞ!

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 高知県立牧野植物園デザイナーだった里見和彦さん(66)が定年退職後の日々をつづったエッセー「定年のデザイン」が出版されました。高知新聞に連載されて好評だったエッセーの書籍化で、掲載された70編に書き下ろし30編を加えた増補版です。自宅の4畳半の部屋をオフィスとしたり、生活にめりはりをつけるための朝の散歩を「自宅への通勤」と名付たり。里見さんのボタニカルで穏やかな日常と回想が行き来する心温まるエッセー集です。書籍化を記念して、担当編集者が7編を選びました。新聞連載時と同じように毎週水曜日に更新していきます。

退職後をどう生きよう? 里見和彦さん「定年のデザイン」刊行 高知新聞人気エッセー待望の書籍化!新たに30編書き下ろし

小さな机の大きな仕事

 誰にでも、なぜか心ひかれる場所があるだろう。ほかの人にとっては何でもなさそうな所なんだけど、その人にはとても大切に思えるような場所が。

 42歳の時、東京からUターンしてあっという間に20年が過ぎた。生まれた土地ではあるけれど、僕は高知のことについて、そんなに詳しいわけでもない。

 そんな僕だけど「あぁ、またここに来てしまった」と思う特別な場所がいくつかある。そのひとつは高知城のそばにある県立文学館の常設展示室だ。ここのケースの中に置かれている江戸時代の国学者、鹿持雅澄の小さな文机。この机を時々見たくなるのだ。これは、僕にとっての高知遺産といえそうだ。

 幅わずか50センチ、奥行き35センチ、高さ30センチくらいのとても質素な机。土佐藩の下級武士だった彼は、貧しい暮らしの中で、万葉集の研究をこつこつと50年も続け、68歳で亡くなる前年、『万葉集古義』の原稿を完成させた。だけどこれが彼の生前に出版されることはなかった。全141冊に及ぶこの大著は、彼の没後、明治天皇から贈られた資金で出版されたという。小さな机に向かって膨大な時間を費やし、日本人の原点を見つめるような大きな仕事を成し遂げた彼は、それが出版されることがなくとも貧しい暮らしに十分満足して亡くなったのだろう。

 僕はこの小さな机の前に立つとき、老境の彼が雑念を振り払いながら学問に立ち向かっている姿を想像する。そうしているとなんだか心が落ち着いてきて「うん、僕も頑張らなければ」と思ったりする。

 高知へ帰って来てからの20年、元気な時も、元気でない時も、ひとりで自転車に乗ってこの場所に来て、この机を眺めてきた。どんな心境の時にも、机は変わらずにガラスの向こうに置かれている。150年以上前に郷土の偉人とともにあった小さな机が、目の前に確かに存在するという事実が僕を安心させるのだ。

 8年前、僕は職場で出会った妻(副社長)と再婚した。そんなある初夏の休日ふと思い立ち、自転車に乗って福井町にある鹿持雅澄の旧宅跡を妻と訪ねることにした。あたご通りを北上し、北環状線を西へ、長くて急な坂道にふーふー言いながらグーグルマップを頼りに迷いつつ行くと、静かな住宅地の中にその小さな公園はあった。

 立派な石碑に刻まれた彼の歌を読みながら、ありふれた休日に、今は無き人の存在を感じたくて出かけることを思いつき、それにつきあってくれる妻に感謝しつつ、近くにある彼のお墓も探してお参りした。(彼も愛妻家だったことを思い出した)。お墓はきれいに掃除がされ、花が添えられていた。福井の小高い丘の上に、鹿持雅澄は今も満足げに暮らしているような気がした。

 牧野植物園に勤務した18年間、僕は設計会社の方から個人的に貰(もら)い受けた製図台を使って、いろいろな企画展示のデザインをしてきたんだけど、退職する時にこれを家に持ち帰り、自宅で妻と始めたデザイン事務所の4畳半の部屋に置いて、この上で絵や図面なんかを描いている。幅105センチ、奥行き80センチ、高さ70センチの製図台から、いろんなデザインが生まれている。僕はこれからもこの製図台に向かって雑念を払いながら、自分にしかできない仕事をしていきたいと思っている。20年間付き合ってきた製図台。これは、僕にとっての鹿持雅澄の机だ。(文とスケッチ・里見和彦=展示デザイナー・高知市愛宕町在住、2019.11.20掲載)

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