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2023.12.06 12:30

【定年のデザイン無料試し読み①】編集者が選んだ心温まるエッセー7編をどうぞ! 初回は定年退職後に始めた「通勤という名の散歩」

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 高知県立牧野植物園デザイナーだった里見和彦さん(66)が定年退職後の日々をつづったエッセー「定年のデザイン」が出版されました。高知新聞に連載されて好評だったエッセーの書籍化で、掲載された70編に書き下ろし30編を加えた増補版です。自宅の4畳半の部屋をオフィスとしたり、生活にめりはりをつけるための朝の散歩を「自宅への通勤」と名付たり。里見さんのボタニカルで穏やかな日常と回想が行き来する心温まるエッセー集です。書籍化を記念して、担当編集者が7編を選びました。新聞連載時と同じように毎週水曜日に更新していきます。

退職後をどう生きよう? 里見和彦さん「定年のデザイン」刊行 高知新聞人気エッセー待望の書籍化!新たに30編書き下ろし

通勤という名の散歩

 去年の春、僕は18年間勤務した牧野植物園を定年退職し、自宅で妻とデザインの仕事をはじめた。家での仕事はオン・オフの切り替えが難しくなると思い、新しい生活にメリハリをつけるため、“自宅への通勤”をすることにした。朝、2人で家を出て近所を30分ほど一回りし、同じ家へ「出勤」して仕事をはじめるのだが、これが意外と楽しくてはまってしまった。

 日々歩くうちに通勤路にはいくつかのコースができた。その中の一つ“北回りコース”は、自宅~江ノ口小学校(母校)~久万川~愛宕商店街~自宅というコース。僕は高校卒業後の25年間を東京で過ごし、帰郷後も近所を意識して歩いたことはあまりなかったので、子どもの頃に親しく遊んだこの界わいの風景を、50年ぶりに見る思いがした。

 歩いてみてわかったのだが、近所の公園や道ばたは小さな自然の宝庫で、春はシロツメクサやハルジオン、初夏には川の土手にタチアオイの花が咲き、秋は民家の庭先から漂ってくるキンモクセイの香りになつかしさを覚え、冬は冬で葉を落とした木々のシルエットの美しさにはっとさせられる。それらの一つひとつはおそらくずっと前からそこにあったのに、今までその当たり前の風景に目を向けることがなかっただけなのだ。

 通勤路にあふれる身近な植物たちは、退職後に出版した科学絵本にも大きなインスピレーションを与えてくれた。

 この“北回りコース”は愛宕大橋から愛宕通りを南下する。僕は昭和30年代の初頭から昭和40年代の終わりまでを“あたご銀座”と呼ばれていたこの商店街とともに過ごした。てくてく歩いていると、昔祖母の背に負ぶさって肩ごしに見た年末の雑踏や、繁華な店の裸電灯に照らされて浮かび上がった色とりどりの商品の記憶などが、朝日をうけた商店のガラスに重なることがある。人通りも店も減ったが、美味(おい)しい味を守り続けている中華料理店や居酒屋、たこ焼き屋。昔と寸分変わらずに営んでいる雑貨店、若い人が経営するレトロな品ぞろえのショップなどを見ながら歩くのはじつに楽しい。

 この通勤は2人であれこれしゃべりながら歩くので社長(僕)と副社長(妻)の企画会議でもある。眼に映るものや肌で感じる季節の移ろいに呼応するように、良いアイデアが浮かんだりもする。この“北回りコース”には定点観測しているモノがあって、廃墟になった小児科の入り口に残されたゾウさんと自動車の遊具、その先にある目的不明の空き地(耕しても植えないを繰り返している)などの興味深いものが静かに息づいており、このような物件に一つひとつツッコミを入れながら歩くのも楽しみの一つである。夫婦で同じ道を歩いても見ているものはそれぞれで、僕は遠くの山並みなどをじっくり眺め、妻は店の看板や足もとの草花の移り変わりなどに目がいくようだ。

 そして驚くことに同じコースを歩いていても、いつもどこか何かが違っていて、昨日と同じだったことは一度もない。(文とスケッチ・里見和彦=展示デザイナー、高知市愛宕町在住)

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 どんなふうに定年後を生きよう? 人生100年時代、定年退職は新たな人生の出発でもあります。牧野植物園を退職した里見和彦さん(61)は、定年後の日々をどう“デザイン”しているのでしょう。連載スタートです。(2018.08.15掲載)

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