2024年 04月27日(土)

現在
6時間後

こんにちはゲスト様

高知新聞PLUSの活用法

2023.12.13 12:38

【定年のデザイン無料試し読み②】編集者が選んだ心温まるエッセー7編をどうぞ! 2編目は牧野博士にまつわる痛快なエピソード「グレイト・マキノ!」です。

SHARE

 高知県立牧野植物園デザイナーだった里見和彦さん(66)が定年退職後の日々をつづったエッセー「定年のデザイン」が出版されました。高知新聞に連載されて好評だったエッセーの書籍化で、掲載された70編に書き下ろし30編を加えた増補版です。自宅の4畳半の部屋をオフィスとしたり、生活にめりはりをつけるための朝の散歩を「自宅への通勤」と名付たり。里見さんのボタニカルで穏やかな日常と回想が行き来する心温まるエッセー集です。書籍化を記念して、担当編集者が7編を選びました。新聞連載時と同じように毎週水曜日に更新していきます。

退職後をどう生きよう? 里見和彦さん「定年のデザイン」刊行 高知新聞人気エッセー待望の書籍化!新たに30編書き下ろし


グレイト・マキノ!  

 僕にとって牧野富太郎博士は、ビートルズに並ぶ愛すべきヒーローだ。牧野植物園に勤めていたとき、植物学者としての彼の業績とか一般大衆に植物の魅力を広めた功績なんかを、たくさんのお客さまに伝えてきた。そのなかで僕が最も魅力を感じるのは、ひとりの人間としてさまざまな困難に遭いながらも、若い頃に抱いた植物学の志をあきらめずにやり続け、独自の仕事のスタイルを確立し、唯一無二の生き方をしたところだ。

 いまから20数年前、牧野富太郎記念館の常設展示を設計している頃に読んだ資料で、強く印象に残ったエピソードがある。こんな話だ。
     ◆
 大正13年2月、関東大震災からわずか半年後のこと、牧野さんは61歳(いまの僕と同い年だ)。土佐を後に上京し40年の歳月が過ぎようとしていた。たくさんの植物の学名発表や『大日本植物志』などの優れた著作を出版していたけど、大学では教授じゃなく講師という身分で、給料は驚くほど少なく、子だくさんの大所帯をかかえた苦しい生活。家計を支えるために妻の壽衛(すえ)さんがはじめた“待合(まちあい)”という接客業の経営も「大学の先生のくせに待合をやるとはけしからん」と世間から悪い噂をたてられていた。(だけど学歴も肩書も博士号も持たない人間が、誰よりも優れた仕事をするというところに、牧野さんは自負心を持っていたのだろう。まぁこのあと、いやいや博士号を受けるんだけど)

 そんなある日、シカゴ大学の著名な植物学者J・M・コールター教授が来日し、その歓迎会に大勢の学者がつめかけた。その中に牧野さんもいた。コールター教授に挨拶(あいさつ)をするため長い列ができ、通訳が一人ずつ紹介していく。「こちらは〇〇教授です」「こちらは〇〇博士です」行列は続き、疲れたコールター教授は途中から椅子に座り、会釈をするだけになった。

 そして牧野さんの番がきた。肩書のない彼を通訳はあっさりと「こちらはミスター牧野です」と紹介した。すると、コールター教授の目が輝き、座っていた椅子から立ち上がって牧野さんの手を握りしめ、こう叫んだ。

 「オー!グレイト・マキノ」
     ◆
 これはこの日、会場に居合わせた人が書いた記事の逸話なんだけど、牧野さんのその日の手帳には、「コルター氏歓迎會二行ク」とだけ書かれている。

 肩書を持たない牧野さんの仕事は、日本国内より海外の研究者に評価されていたということだろう。「教授」でも「博士」でもなく「ミスター」が「グレイト!」になった瞬間の記事だ。

 東京のデザイン事務所で、この記事を読んだ僕は、胸のすくような思いがした。そして、じんわりとその胸が熱くなり、なぜかふるさと高知の青い空が目に浮かんできた。

 その後、牧野富太郎記念館が完成し、植物園に就職した僕は、この話を何度もお客さまにした。そのなかには涙する人もいた。

 独学による研究の道はさぞかし険しいものだったろう。いまでこそ「世界的植物学者の牧野博士」とかいわれてるけど、牧野さんが一番苦労して仕事をしていた時、日本で彼を評価し支援する人は多くなかった。

 一匹狼の自由な発想で道を切り開き、どんな状況にもユーモアを忘れず、奇人変人あつかいされても笑い飛ばして進んでいく爽やかさ。それはまさに僕にとって、土佐人のヒーロー像なのだ。(文とスケッチ・里見和彦=展示デザイナー・高知市愛宕町在住、2018.12.12掲載)

高知のニュース 高知市 本紹介 牧野富太郎

注目の記事

アクセスランキング

  • 24時間

  • 1週間

  • 1ヶ月