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2023.08.29 10:20

万太郎、植物採集で台湾へ! 牧野富太郎もピストル購入し渡航 日本調査団の植物学者として選抜

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©️NHK

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 明治27(1894)年、日本と清国の戦争が始まりました。朝鮮進出を巡って両国の利害が対立して軍事衝突に至ったのです。日本軍は戦いに勝利して、翌年に講和条約を結びました。下関条約です。清国は朝鮮の独立を確認し、日本は遼東半島や台湾などを割譲されました。

 そうした時代背景から、日本は台湾の国情を調べる必要がありました。その中に台湾の植物相の調査もありました。その調査団の植物担当の学者として牧野富太郎が選ばれたのです。牧野は東京帝国大学の助手として採用されたばかりのことでした。

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 牧野博士が残した日記には、台湾に渡航する前の明治29年10月に護身用のピストルと弾薬を購入したと書かれています。つまりそれほどに台湾の治安は悪かったのです。同年10月20日に横浜から出航し、台湾北部の基隆(キールン)に25日に到着しました。帰国するのは12月中旬です。

 残念ながら、台湾での植物採集は治安上の問題や言語の困難から、牧野が思うような十分な植物調査ができなかったと考えられています。台湾での植物採集について牧野博士は多くを語っていません。

 しかし牧野博士にとっては初めての海外渡航であり、日本列島を離れた自然にある植物相の一端は刺激的なものだったでしょう。そして日本調査団の一員となる植物分類学者として選抜されたことは大きな喜びであったに違いありません。(竹内 一)
 
  牧野富太郎の台湾での植物採集については、高知新聞ウェブサイトで連載された練馬区立牧野記念庭園の田中純子学芸員による「シン・マキノ伝」の29回目「台湾へ植物探検」(上)、30回目の「台湾へ植物探検」(下)をご覧ください。
 

↑記者が脚本家の長田育恵さんとらんまん第22週を語ります


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高知のニュース WEB限定 牧野富太郎

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