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2022.11.17 08:30

「台湾へ植物探検」(下) シン・マキノ伝【30】=第3部= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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 台湾での植物調査について、帝国大学側の資料を見ると、これを台湾学術探検隊と称して「植物に関しては助手牧野富太郎、学生大渡忠太郎、植物園雇内山富次郎選ばれてその行に加はり、台湾滞在一ヶ月にして十二月帰京せり。当時島内の旅行甚だ困難なりしため植物の採集完からざりしが、既に多少着手せられし琉球植物の研究と相俟(あいま)ちて熱帯植物直系の研究漸くその緒に就くの機を得た」と記される(小倉謙編「東京帝国大学理学部植物学教室沿革」より)。台湾での移動が難しい状況を伝えており、牧野が護身用にピストルを携行したこともこれと関係があろう。牧野も思うように採集ができなかったのかもしれない。

「台湾植物探検紀行 」に掲載された地図(「植物学雑誌」第11巻 122号所収)

「台湾植物探検紀行 」に掲載された地図(「植物学雑誌」第11巻 122号所収)

 台湾行に挙げられた人名と東京大学が所蔵し現在公開されている公文書を踏まえると、牧野の手紙に登場した人物は大渡(おおわたり)忠太郎(1867―1953年)ではないかと推察される。公文書には大渡の履歴が詳細に記録され、助手となったのが明治30年9月とある。これは、前回取り上げた同年9月に書かれた牧野の手紙の内容と一致する。大渡の側に何か台湾に関する記録があるのではと思い調べると、「台湾植物探検紀行」と題する植物採集の成果をまとめた報告が「植物学雑誌」(第11巻第121号~123、126号~128号 1897年)に掲載されていることが分かった。そこにはたびたび牧野が登場し、…

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