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2022.11.16 08:30

「台湾へ植物探検」(上) シン・マキノ伝【29】=第3部= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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 その後、牧野の待ち望む帝国議会の結果はどうなったであろうか。引き続き宮部金吾に宛てた牧野の手紙を見てみよう。明治29(1896)年2月の手紙にそれへの言及がある。牧野は、宮部から来た手紙に対して「懇々の御訓諭」をありがたく承り肝に銘じたと礼を述べてから、予算の話題に移る。すなわち大学での植物誌編さんは、今年は着手する運びにはならなかったが決してやめることはなく来年度の予算に繰り込むことになった、つまり文部省は通過したが、大蔵省で戦争後の経済立て直しの点から先送りにしたからで、原稿をこしらえておくことにして今から楽しみであると書いている。以上のことから、日本の植物誌を作る話は翌年以降に先延ばしになったことが分かる。


牧野富太郎「タカサゴユリの原図」(高知県立牧野植物園所蔵)

牧野富太郎「タカサゴユリの原図」(高知県立牧野植物園所蔵)

 さらに宮部宛の手紙をたどると、同年3月の手紙は、牧野の家の近くで起きた火事に対して見舞状をよこしてくれた宮部に礼を伝える内容である。翌30年9月の手紙から、宮部が上京したと分かる。牧野は大喜びで、深夜まで長話をしたようで、もう一度お会いしたいと思っていたところすでにたたれた後でひどく失望し、見送りもせずに失礼してしまったと詫びている。この手紙には「俗物先生」が「入閣」することになり教室の調和が乱れるであろうと嘆いていることが記され、その心配は次の同年10月の手紙に続くことになる。

 この手紙では、宮部から植物学上有益な事柄をお知らせくださりありがたいと感謝を伝え、それらについて自分の見解を述べる。例えば、エゾウコギ(Eleutherococcus senticosus)と同属のものが内地にあって南は高知県まで分布し新種として記載文を近く発表するつもりだと言う。エゾウコギと異なる点があってエゾウコギの変種かもしれないが、エゾウコギの実物がなく洋書の図説と比較しているのみだということである。また、お願いしたい事として宮部の手元にある苔類の標本の交換を望み、日本とアメリカの苔類の交換をしたいのでアメリカの苔類の専門家を教示してほしいと記す。最後に、宮部から話があった米国から注文の標本の件に尽力してほしい、薄給で経済的に困難であるため他にも注文があれば応じたいとある。この内容から、牧野は注文があれば標本をそろえて売っていたことが推察される。つけ加えて、内地の高山にあるナナカマドを新種と検定したが、北海道にもあるかと尋ね、タカネナナカマドともミヤマナナカマドとも異なり「Pyrus (Sorbus) Matsumureana(sp. nov.)」と命名すると記す。

 植物に関する話題は以上のごとくであるが、牧野にとって憂慮すべき教室の問題があった。すなわち前の手紙に登場した人物に関することである。その人物は「時事新報」に台湾植物の記事を書かせ、そこに自分一人で植物探検を引き受けたように書かせて得意になっているのはもってのほかだと言う。さらに翌明治31年8月の手紙にも続き、その人物に関する「東洋学芸雑誌」の記事も非難し、牧野の攻撃はこの人物に対してだけでは終わらず、この人物を雇った人物の失策だと手厳しい。加えておくと、この手紙には、アメリカよりの標本の注文があるか否かをできれば尋ねてほしいということが記され、行間には注文の件をはっきりさせたいという牧野の差し迫った思いが感じられた。

 手紙に言及されている台湾の植物探検について、牧野は、前年の明治29年10月に植物採集のため台湾へ出張を命じられた。おそらく手紙の内容から牧野とその人物は一緒に植物調査に出掛けたのであろう。牧野の日記によれば、…

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