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2023.08.25 08:26

岩崎弥之助は万太郎の救世主に? 三菱財閥2代目、キリンビールも創始 牧野博士も岩崎家から資金援助 

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©️NHK

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 朝ドラ「らんまん」に岩崎弥之助(皆川猿時)が登場しました。モデルと考えられる同名の岩崎弥之助(1851〜1908年)は、高知県安芸市出身で三菱財閥を築いた岩崎弥太郎(1834〜1885年)の弟です。

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弥之助の兄・岩崎弥太郎の像(高知県安芸市)

弥之助の兄・岩崎弥太郎の像(高知県安芸市)

 兄の弥太郎は胃がんによって50歳で亡くなりました。幕末から維新の激動の時代を生きて三菱という大財閥を築いた弥太郎の葬儀には各界有力者が参列し、一般の会葬者も3万人あったと言われています。その三菱を引き継ぐことになったのが16歳も年の離れた弟である弥之助でした。

 弥之助は土佐藩校致道館に学び、アメリカに留学。帰国して三菱の経営に参画しました。事業の再編を行って、鉱山、造船、地所、金融など、多角的な経営に力を注ぎました。東京・丸ノ内にヨーロッパ風のビル街を造るなどする一方で、松方正義、加藤高明、幣原喜重郎ら、政界の有力者へも縁故を広げていきます。

 1885年には横浜の在留外国人と弥之助らが「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」を設立。醸造技師から原料に至るまで本場ドイツの味にこだわり、88年に現在の「キリンラガービール」である「キリンビール」を発売したことでも知られています。

 ドラマで寿恵子(浜辺美波)は東京・新橋の料亭で仲居として働くことになりました。その料亭には弥之助が常連の客として出入りしています。ひいきの芸者である菊千代にちなんで料亭で「菊くらべ」をしました。寿恵子が持ち込んだのは万太郎が持ち帰った「ノジギク」でした。豪華絢爛、立派な菊が紹介される中で、寿恵子は日本古来の菊である「ノジギク」の価値を訴えました。弥之助は感動しました。

「ノジギク」に心動かされた弥之助 寿恵子熱弁「日本古来の菊」【連載記事復刻】兵庫県花「ノジギク」
 
 こんなふうにドラマで描かれているように、そうした料亭での社交にもよって、弥之助は人脈を広げていき、その三菱の事業を洗練させていったのかもしれません。実際の牧野富太郎博士も同郷佐川出身の政治家・田中光顕や法学者・土方寧らを通じて、岩崎家から資金援助を受けたこともあったと言われています。そうした史実にもドラマは沿いながら、万太郎を経済的にも支えていく寿恵子の活躍が続いていきそうですね。(竹内 一)

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