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2023.08.14 08:30

借金取りをあしらう寿恵子も史実 貧乏と戦い続けた牧野博士【連載記事復刻】生涯直らぬ悪癖?

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@NHK

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 朝ドラ「らんまん」第20週が始まりました。東大を離れた万太郎(神木隆之介)の元に、全国各地の植物愛好家たちから植物標本が送られてきます。日本の植物すべてを明らかにして図鑑を刊行する。万太郎は、この夢が孤独なものではないことを実感しています。しかし万太郎には十分な収入がありません。植物研究にかかるお金がかさみます。寿恵子(浜辺美波)は長屋に押しかけてくる借金取りと向き合います…。


 実際の牧野富太郎博士も借金に苦しめられてきました。ドラマにあった借金取りが来たことを告げる「旗」の合図も史実に沿ったエピソードです。借金取りの対応は妻・寿衛がもっぱらしていたそうです。博士は自叙伝に書き残しています。〈私は来る年も来る年も、左の手では貧乏と戦い右の手では学問と戦いました〉

 過去の高知新聞連載記事から、牧野博士の金銭問題について書いた回を復刻しまたので、ご覧ください。



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『淋しいひまもない 生誕150年 牧野富太郎を歩く』(33)「生涯直らぬ悪癖?」

 牧野富太郎の次女、鶴代さんが書き残している。

 〈昔、父が若い頃は、少しは財産もあったものですから、身なりなども整えていたらしいのです。けれども、だんだん生活が苦しくなってからは、床屋さんへも参りませず、髪は延ばしほうだい。着物なども、木綿の黒紋付の羽織を着ておりましたこともあり、それがいつか羊羹(ようかん)色になってしまっているのを私はよく覚えております〉(牧野富太郎自叙伝に収録「父の素顔」から)

正装で植物採集をする牧野(高知県立牧野植物園所蔵)

正装で植物採集をする牧野(高知県立牧野植物園所蔵)

 おしゃれ、というのが牧野の一般的なイメージではないだろうか。植物採集という野外の活動であるのに、ちょうネクタイをした正装、東大の研究室でのスーツ姿の写真…。当時の写真というのは、やはり特別なものであって、羊羹色に退色してしまった羽織など日常の姿を写すものではなかったのだろう。

 1893(明治26)年、31歳の牧野は東京の帝国大学助手として初めて正式採用された。この時の月給は15円であり、米価を基準に考えれば、それは今の15万円ほどにしかすぎない。

 この15円の助手という待遇は50歳まで続いた。

 〈大学へ奉職するようになった頃には、家の財産も殆(ほとん)ど失くなり、家庭には子供も殖(ふ)えてきたので、暮らしはなかなか楽ではなかった。私は元来鷹揚(おうよう)に育ってきたので、15円の月給だけで暮らすことは容易な事ではなく、止むなく借金をしたりした。借金もやがて二千円余りも出来、暮らしが面倒になってきた〉(自叙伝)

 2千円余りとは、月給の約130倍以上になる相当な額である。子どもは13人もいたというから、15円の給料では食費にも困った。
 借金の差し押さえで、書籍や標本を取り上げられることもあった。家財道具が競売にかけられたが、「知人の間で工面した金」で取り戻したこともあった。

 巨額の借金は、生活費のみによるものではない。
     □
 大原富枝は「草を褥(しとね)に 小説牧野富太郎」という本の中で、牧野の金遣いの奔放さを「生涯直らなかった悪癖のようである」と断じた。

 その象徴として、大原が挙げているのが以下のようなエピソードだ。

 フランスの作曲家ドビュッシーと同じ年に生まれた牧野は、西洋音楽を愛好していた。ドイツからオルガンを購入し、その弾き方も学んだ。「高知西洋音楽会」なるものも主宰したことがある。凝り性なのだ。

 大学の助手に採用される直前、牧野は実家である商家の破産整理のために帰高した。東京の自分の家庭も困窮しているにもかかわらず、「延命館」という一流の宿に滞在しながら、高知初の西洋音楽のコンサートを開くのである。こうしたことに80円という大金を投じ、〈明治二十五年は高知で音楽のために狂奔しているうちに、夢のように過ぎてしまった〉と振り返っているのだ。

 大原は書く。

 〈岸屋という大商家の一人息子として大切に育てられ、我が儘(まま)いっぱい、自己顕示欲の強烈さを抑制することなく育った彼は、破産の整理に帰りながら無駄な金を湯水のように使っていたわけである〉
     □
 このような「無駄な金」もあったようだが、「学問のための金」も湯水のように使った。

 その証拠となる物たちが、高知市五台山にある県立牧野植物園内の「牧野文庫」に収められている。

 文庫の司書の方に案内され、靴をスリッパに履き替え、文庫の中に入った。

 圧巻の光景だった。(2013年2月15日付、社会部・竹内一)

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