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決心の人 岩崎弥太郎余話
高知の偉人・岩崎弥太郎。数々の伝記や小説、評論がある中、周辺の余話を拾い集めたりしながら、その生涯をたどる。
26記事
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決心の人 岩崎弥太郎余話
高知の偉人・岩崎弥太郎。数々の伝記や小説、評論がある中、周辺の余話を拾い集めたりしながら、その生涯をたどる。
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Vol.26
決心の人 岩崎弥太郎余話
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」で、多分に戯画化されて描かれ、注目されている高知の偉人・岩崎弥太郎。岩崎家伝記刊行会の「岩崎弥太郎伝」をはじめ、これまで数々の伝記や小説、評論が出されてきた。ここでは周辺...
Vol.25
決心の人 岩崎弥太郎余話(25-終) 三菱と土佐 大型汽船で郷里へ
岩崎弥太郎の生家(中央奥)のある安芸市井ノ口。左後方には弥太郎が江戸へ旅立つときに登ったという妙見山が見える。ふだんは静かなところだが、NHKの「龍馬伝」の影響で、県内外から数多くの観光客が訪れている...
Vol.24
決心の人 岩崎弥太郎余話(24) 人脈と財力 4人の首相と姻戚
岩崎弥太郎――その生涯を、史家は「大胆にして、堅忍不抜、剛毅(ごうき)の歴史であった」と評した。また、「独立独行の快男子であった」と、大隈重信は回想している(写真は「土陽新聞」1901年1月1日付から...
Vol.23
決心の人 岩崎弥太郎余話(23) 52歳の死 冷たかった県民世論
岩崎弥太郎の死亡広告(右上)。代表者の中内治平は、高知における三菱の総支配人だったのだろうか? 左下には、神戸行きの三菱汽船「浦門丸」の広告も掲載されている(「土陽新聞」1885年2月11日付から) ...
Vol.22
決心の人 岩崎弥太郎余話(22) 母と子(下) 手紙にこもる情愛
岩崎家の菩提寺、閑慶院。弥太郎の生家から3キロほど北にある。明治のころ、母親の美和からの寄進で本堂が復興された。鐘楼などの瓦には岩崎家の家紋(三階菱)が刻まれている。右手のムクの木は樹齢600年(安芸...
Vol.21
決心の人 岩崎弥太郎余話(21) 母と子(上) “快く命を捨てても”
四国霊場27番札所、神峯寺。弥太郎が獄にあったとき、母親の美和が安芸からはだしで参拝を続けた。美和が没した翌年の1901(明治34)年、次男の弥之助が帰郷し、母親の遺言で山林を寄進したという(安田町唐...
Vol.20
決心の人 岩崎弥太郎余話(20) 同時代の人々 柴四朗、漱石の「猫」
豊川良平(右)。学校の経営や雑誌の発行に携わっていた壮年期だろうか。中央は大石正巳(高知市出身)、左は犬養毅。ともに三菱と関係の深かった政治家で、犬養はのちに首相となり五・一五事件で暗殺される(鵜崎熊...
Vol.19
決心の人 岩崎弥太郎余話(19) 同時代の人々 馬場辰猪、渋沢栄一
渋沢栄一。“論語とソロバン(道徳と経済の合致)”を説いた。徳川家に尽くし「徳川慶喜公伝」も著した。銅像も多く、そのたびに「また雨ざらしか」と笑ったという。1931年没、92歳(写真は国立国会図書館・電...
Vol.18
決心の人 岩崎弥太郎余話(18) 同時代の人々 中江兆民、黒岩涙香
岩崎弥太郎生家の碑(1962年建碑)。諸橋轍次の書。初代弥太郎、2代弥之助、3代久弥が生まれた三菱発祥の地と刻んである。諸橋は膨大な和漢の書や美術品を収めた三菱の静嘉堂文庫長を務め、「大漢和辞典」を編...
Vol.17
決心の人 岩崎弥太郎余話(17) 三菱の人々(下)俥でも引いてみろ
小高坂の若一王子宮の境内に残る碑。1932年の社殿改築のとき、金を寄進した人々の名前を刻んでいる。末延田鶴子は末延道成の妻(三菱の石川七財の娘)。左に見える桐島像一も三菱の幹部だった人だ(高知市山ノ端...
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