2023.09.26 07:00
「らんまん」最終週は「スエコザサ」 牧野富太郎が亡き妻への愛を込め命名 仙台で発見の笹、葉の表面に美しい起毛
©️NHK
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牧野博士は自らの植物分類学に私情を挟むことを決してしませんでした。ですから「スエコザサ」という命名は極めて異例のことなのです。
それにしても、なぜ笹だったのでしょう。もっと華やかな植物にしてもよかったのでは、と思わなくもありません。後年、牧野博士はその理由をこんなふうに書いています。
「すえ子笹‼ 花も咲かず、目だたない草むらにじっとひそまりながら、風が吹くとさやさやとなつかしい音をさせる笹は、まことに家内にふさわしく思われた」(牧野富太郎「わが九十年の生涯を語る―永遠に捧げる妻への感謝―」=主婦の生活6(1)1951年所収)
高知新聞記者が仙台市に自生している「スエコザサ」を訪ねていった記事があります。ご覧ください。
『淋しいひまもない 生誕150年 牧野富太郎を歩く』(50)世の中のある限り…
植物の命名というのは、植物分類学において最も重要な行為である。シーボルトのアジサイのように、その植物と無関係な愛人の名を学名とするような私情をはさんではならない。
牧野富太郎はシーボルトをそんなふうに批判していた。
しかし、1928(昭和3)年、54歳で亡くなった妻の寿衛を悼んで、牧野が仙台で発見した新種のササに付けた学名は「スエコザサ」だった。
シーボルトのことを忘れていたのか。悲しみの激情の中にあって、そんなことはどうでもよくなっていたのか。それとも、シーボルトの思いと重なるそれを理解したのか。
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植物の命名に関する今の国際規約は、学名に人名を付ける場合、その植物の発見者や採集者、あるいは研究の援助者などに限るよう勧告している。
牧野に師事した元高知学園短期大学長の上村登さんは、スエコザサの命名について、こう書いている。
〈シーボルトが日本を去るにあたって、居留中に愛した女性の名をアジサイの学名として献名したのは少々プライベートすぎると書いたが、牧野博士のスエコザサの方は、寿衛子夫人は立派に研究を援助した研究関係者である〉
牧野は寿衛の墓碑に、以下のような自作の句を刻み付けた。
「世の中のあらん限りやスエコ笹」
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スエコザサの標本を前に話す仙台市野草園の上野雄規前園長(同市太白区)
野草園の前園長、上野雄規さん(65)に案内してもらった。牧野を敬愛している上野さんは、スエコザサの研究者としても知られている。本連載で紹介した牧野が仙台でスエコザサの発見に至る足取りなどは、上野さんが探し出した資料によって明らかになった。
「牧野先生とは残念ながら会ったことはないのですが、少年のころからの憧れの存在でしたよ。植物に関心を持って研究していると、あらゆるところに牧野先生の名前が出てきますしね。自分の足で歩いて、植物を集めて、それを図鑑という形で集大成した。もう、あんな人は出てこないでしょうなあ」
園内は数種類のササがあったが、「あっ、これ、スエコザサですね」と自分で先に見つけることができた。「はいはい、よく分かりましたね」と上野さんが笑った。
特徴のあるササなのだ。葉が裏側に向かって巻くようになっている。そして葉の上には白い毛がたくさん生えている。
牧野と寿衛の物語。その名前の由来も思いながら観察をすると、それはただのササではなくなる。
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野草園からタクシーに乗った。運転手さんは南方熊楠のことは知っていたが、牧野富太郎のことは知らなかった。仙台市の三居沢という所へ向かう車中で私はスエコザサの話をした。今から80年以上前、牧野はそこでスエコザサを見つけたのだった。
今も自生している、と聞いていたが、1人で見つけられるかどうかは不安だった。小高い山の道を2、3分歩くと、沿道にササが生えていた。葉が巻き、けばだっている。あっけなく、スエコザサに出合えた。仙台という大都市の郊外でたくましく自生していた。
写真に収めて、しばらくすると、ぽつぽつと雨が降りだした。次第に雨は激しくなる。軒先に逃れ、その夕立をぼうぜんと眺めた。(2013年3月15日付、社会部・竹内一)
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