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2023.09.12 08:30

高知新聞社、引っ越しのごあいさつ 新拠点から決意新たに これからも県民と歩む

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新社屋8階のエントランスで談笑する、中平雅彦社長=左=と若手社員たち(高知市本町4丁目の高知電気ビル)

新社屋8階のエントランスで談笑する、中平雅彦社長=左=と若手社員たち(高知市本町4丁目の高知電気ビル)


 高知新聞社の社屋は、1904(明治37)年の創業当時から数えて今回が6代目となります。自由民権運動の系譜を受け継いで県庁前の電車通り沿いから歴史を刻み始め、移転や改築を重ねながら、地域に根差したニュースを発信。文化やスポーツの事業も展開してきました。先代の社屋建設からおよそ半世紀がたつ間に媒体の形は多様化し、高知新聞社もデジタルの世界へと大きく羽を広げようとする中での、新たな拠点整備となりました。

 この特集では、新社屋に込めた思い、ここから始まる取り組みを紹介します。

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引っ越しのごあいさつ
高知新聞社代表取締役社長 中平雅彦

 高知新聞が産声を上げたのは、日露戦争さなかの1904年9月1日。現在の県庁前電車通りの南側、古ぼけた木造2階建ての印刷所を社屋として使うことから始まりました。

 大正末期に電車通り北側の本町3丁目に移り、昭和から平成、令和と時代を駆け抜けてきました。老朽化した高知新聞放送会館の建て替えを考えたとき、課題は南海トラフ地震への備えでした。

 そんな中、仮社屋の候補と考えていた場所に免震機能を備えた新しいビルが計画されていることを知りました。

 東日本大震災で被災した東北の新聞各社の苦闘を思ったとき、自社ビル建設よりも南海トラフ地震とその後の復興に備えよう―。そう選択しました。

 高知新聞は何のために生まれたのか。時代の要求に伴い、県民と手を携え共に新天地を開拓するために声を上げたのだ―。119年前に掲げた創刊の言葉、県民と共に歩む姿勢はこれからも変わることはありません。

 高知城を望む真新しいビルで、決意も新たに情報を発信し続けてまいります。これからもご愛読よろしくお願いいたします。

創刊当時
初代社屋も本町4丁目付近。電車通り南側にあった木造2階建ての印刷所跡

初代社屋も本町4丁目付近。電車通り南側にあった木造2階建ての印刷所跡


1910年
初代社屋と同じ場所に、赤れんが造りの2階建てを建設

初代社屋と同じ場所に、赤れんが造りの2階建てを建設


1925年
本町3丁目に移転。3代目社屋は高知県内初の近代式鉄筋コンクリート3階建て

本町3丁目に移転。3代目社屋は高知県内初の近代式鉄筋コンクリート3階建て


1952年
高知大空襲の被害や都市計画の影響を受けた後、増改築して完成した4代目社屋

高知大空襲の被害や都市計画の影響を受けた後、増改築して完成した4代目社屋


1974年
長く親しんでいただいた5代目社屋。創刊60周年を記念して計画し、2期に分けて建設した

長く親しんでいただいた5代目社屋。創刊60周年を記念して計画し、2期に分けて建設した


 新社屋特集は記事を松井久美、川戸未知、写真撮影を飯野浩和、河本真澄、紙面編集を宇田渡、山下正晃、今川彩香が担当しました。

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