2022.10.09 08:29
合併必至の農協が…―村を作りかえたごっくん男 馬路村農協前組合長 東谷望史物語(2)
段々畑に「ゆずの村」の大看板。馬路は林業の村からユズの村に脱皮した
おいおい書いていくが、東谷さんが農協に入った1973(昭和48)年ごろ、馬路の農業はないないづくしだった。農地が少ない。専業農家がいない。村の施策は林業ばかり。農協にはお金がない。東谷さんは「この農協は早く合併するしかない」と思っていた。
「この農協、自分の定年までもつかなあと考えたり…。そんな中で、ちょっとでも農家の暮らしがようならんろうか、ちょっとでもユズが売れるようにしたいという思いが強かったねえ」
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