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2022.06.12 08:51

父が残した家具店守る 2代目の滝石さん 修理メインに営業中―ちいきのおと(74) 越前町1丁目(高知市)

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年季の入った軒先のテントが目を引く滝石家具店(写真はいずれも高知市越前町1丁目)

年季の入った軒先のテントが目を引く滝石家具店(写真はいずれも高知市越前町1丁目)

 10坪ほどの店内に所狭しとたんすやテーブル、椅子などの家具が並んでいる。高知市越前町1丁目の「滝石家具店」。店の奥で、ちょこんと座布団に座る店主の滝石哲夫さん(79)は「売れませんけんどねぇ。近所の方が『ここがなくなったらさみしい』言うてくれるんで」。父の店を守り続けている。

 創業は1945年。父の正義さんが隣の大膳町で始め、50年に今の場所に移ってきた。当時の家具店は「作って売る」のが主流で、戦後の住宅ブームや高度成長期の追い風を受け、店はにぎわった。職人を抱え、夜なべ仕事も日常茶飯事だった。父は「お客さんの注文に、作れん言うたら職人やない。何でも作らないかん」。店の奥に構えた工場でのこぎりをひき、くぎを打ち…。依頼があれば、お琴の台から仏壇まで何でも作った。「わしが死んでも50年、100年は使える」と話していたという。

父の仕事道具を今も大事にしている

父の仕事道具を今も大事にしている

 哲夫さんも小学生の時から工場の掃除をしたり、木材を乾かすために外壁に立てかけたり。中学生になると仕入れにも付いていった。「跡取りにさすための修業やなかったでしょうか」と、柔和な笑顔で振り返る。長じて会社勤めを始めてからも、空いた時間には父を手伝ってきた。

 「おやじが作った婚礼家具は評判が良うて、次々と注文がきてねぇ。おやじと淡路島や大阪まで持って行ったこともありました」と懐かしむ。

 だが、やがて県外専門メーカーの商品が入ってくるようになり、多くの同業者は自家生産をやめて小売専業に切り替えていった。

 それでも「おやじは『腕があるから道具は捨てん』言うてね」。手仕事にこだわり、書類の整理箱などを作っていたという。

 そんな父は24年前に亡くなった。以来、哲夫さんは1人で店を切り盛り。「県内にも残っちゅう(個人経営の)家具屋はあるにはあるけんど、指で数えるばあやろう。クローゼット付きのマンションも増えて、たんすは売れん。時代よねぇ」

品々の間に無造作に置かれた人生訓

品々の間に無造作に置かれた人生訓

店には滝石さんが木材に鳥の絵を描いたオブジェも

店には滝石さんが木材に鳥の絵を描いたオブジェも

 それでも今も時折、修理の依頼が舞い込んでくることがある。たんすの引き出しが開きにくくなっていたり、取っ手が壊れていたり。父が手掛けたものに当たることも。「どこが悪いか、すぐ分かります。やっぱり子やねぇ」と笑い、「お客さんには『大事にしなさい』言うて、ただで直す方が多いけんど」と苦笑いだ。

 哲夫さんが子どもだった頃、近所には貸本屋や銭湯などが軒を連ねていた。「おじさんらあが、おやじの仕事をようのぞきに来よった。そんな店を残しとうてねえ」

 今は、木工好きの客や通りすがりの人がふらりと店を訪れては、滝石さんとの会話を楽しむ。「やっぱり木はえい」。そんな声に励まされ、ごとごと営みを続けている。(報道部・山崎彩加)


《ちょっとチャット》
笹岡絵麻さん(8)第四小3年
 運動が好きで、家の近くの大膳町公園で鉄棒をして遊んでます。越前町2丁目の焼き鳥屋さんにもよく行くよ。皮タレが好きです。アニメの「名探偵コナン」に出てくる毛利蘭ちゃんに憧れてて、私も空手が強くなりたいので1年生から習ってます。将来は黒帯を取って、空手の先生になりたいです。



 越前町1丁目は高知城の西側に位置。かつては土佐郡小高坂村と呼ばれた地区の一部で、1927(昭和2)年に高知市と合併。これ以降に越前町、南越前町と名が変わり、82年から現在の表記となった。4月1日現在、121世帯229人。

高知のニュース 高知市 街ダネ ちいきのおと

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