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2023.09.07 08:00

小社会 流言の教訓

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 寺田寅彦博士は混乱する東京にあって冷静だった。関東大震災が起きて2日目。浅草から避難してきた親戚が「巡査が来て○○人の放火者が徘徊(はいかい)するから注意しろと云(い)った」と言う。井戸に毒を入れる、爆弾を投げるという浮説も聞こえてきた。

 寅彦は、話を疑う。「こんな場末の町へまでも荒(あら)して歩くためには一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾が入(い)るであろうか」。先日の本紙連載「流言禍」でも引用していた「震災日記より」の一節である。

 大震災の1年後には、「流言蜚語(ひご)」を書いている。流言は「源」がなければ成立しないが、次々に取り次ぐ媒質がなければ「伝播(でんぱ)」は起こらない。科学的な省察で伝播能力を弱めなければ、と。

 当時はおびえた人々の口コミ、新聞報道が媒質だった。いまは交流サイト(SNS)の時代。玉石混交の情報が瞬時に拡散する。災害時に寅彦が説く冷静な省察は容易ではないかもしれないが、心しておきたい警句になる。

 100年前の朝鮮人虐殺で過日、官房長官の少々驚く発言があった。「政府内に記録が見当たらない」。その政府の中央防災会議が2009年、公文書も引用して中国人、内地人を含め「虐殺という表現が妥当」とする報告書をまとめている。「見当たらない」のではなく、過去を見ようとしていないのではないか。

 人間、苦い教訓から学ばなければ過ちを繰り返す。それが心配な人々は国の中枢にもいるようだ。

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