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2023.07.06 12:54

「仁淀川からミシシッピ川に行くがか!」激励する万太郎 「らんまん」広瀬佑一郎のモデルは高知県佐川町出身の広井勇 近代土木の先駆者で留学経験も【web限定・復刻】

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©NHK

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 高知県出身の植物学者、牧野富太郎博士を主人公のモデルにしたNHK連続テレビ小説「らんまん」。所帯を持った槙野万太郎(神木隆之介)の所へ、佐川の学問所「名教(めいこう)館」で一緒に学んだ広瀬佑一郎(中村蒼)がやって来ました。
 
 万太郎は田邊教授(要潤)との関係に悩んでいます。その万太郎に佑一郎は上京した時にも世話になった植物学者の野田基善(田辺誠一)や里中芳生(いとうせいこう)を頼ればいいとアドバイスをします。

 植物学者として生きる道は東大のほかにもある。故郷の幼なじみの的確な助言に万太郎は感動します。そして土木を学ぶためにアメリカに留学してミシシッピ川の治水に関わるという佑一郎を「仁淀川からミシシッピ川に行くがか!」と激励しました。

 この佑一郎のモデルと考えられるのは、経歴が重なる高知県佐川町出身で近代土木の先駆者、広井勇(ひろい・いさみ、1862~1928年)です。
 
「らんまん」をもっと深く、もっと楽しく! 牧野富太郎博士の特設サイトはこちら!
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 広井は牧野博士と同い年でドラマ同様、一緒に名教館で学びました。明治維新後に没落した武士の子で、早くに父親を亡くし、叔父を頼って上京。その後、15歳の時に札幌農学校(現・北海道大学)に入学します。農学校の同級生には内村鑑三や新渡戸稲造がいました。

 広井は札幌農学校で学んだ後、私費で米国へ留学をし、ミシシッピ川の治水工事にも関わりました。帰国後に北海道の小樽築港事務所長に就任。日本初のコンクリート製防波堤である小樽港を完成させました。

 その後、東京帝国大学土木工学科(現・東京大学工学部)の教授に就任した広井は、20年間で600人近い人材を世に送り出し、多くが日本の近代土木をけん引しました。その優れた門下生たちは「広井山脈」とも呼ばれています。功績をたたえられ、2021年4月には故郷の佐川町に銅像が建てられました。

 
佐川町の上町地区に建つ広井勇の銅像(同町甲)

佐川町の上町地区に建つ広井勇の銅像(同町甲)

牧野博士と同年代を生き、分野は違えど日本の発展のために貢献した広井。ドラマの中では、広瀬佑一郎が今後どのように描かれ、活躍するのかが楽しみです。

 広井について詳しく解説した2004年の高知新聞の記事を復刻しましたので、ぜひお読みください。

<高知新聞創刊100周年記念特集> 県人特集「ルーツは土佐にありて」 県外で活躍した土佐の偉人(下)

▼広井勇(ひろい・いさみ)  小樽港近代化に心血注ぐ
 欧米列強に並ぶ国家建設を目指す明治政府は、遅れた産業革命を推し進めるために欠かせない石炭資源を北海道に求めた。幌内炭鉱から運び出される石炭を全国に積み出すための港として、小樽港の整備は重大な懸案事項であった。

 小樽は札幌に近く、明治13年の鉄道開通と共に北海道に入る物資の荷揚地としてもその役割は高まっていた。しかし、北西の季節風が吹くと、湾内には大きな波が押し寄せ、船が被害を受けたり、貨物の損失が出たりした。その小樽港の築港に心血を注ぎ込んだのが広井勇である。

 広井は15歳の時、クラーク博士を迎えて開校したばかりの札幌農学校に入学。内村鑑三、新渡戸稲造などと同期生だった。卒業後、米国とドイツに留学。米国では河川や橋梁(きょうりょう)の工事にかかわり、橋梁の構造計算に関する英文著書も出版。当時世界最高の橋梁技術専門書と称賛され、多くの米国人技術者がバイブルとした。

 帰国後、札幌農学校土木工学科教授に就任し教育者としての人生をスタートさせる。しかし、北海道庁は小樽港の築港のために広井の持つ土木技術を必要とし、小樽築港事務所初代所長に就任した。

 明治30年、小樽築港第1期工事(北防波堤建設)が始まる。広井はまず、外海の荒波に耐えるコンクリートを製作するため、ドイツで学んだセメントに火山灰を混入して強度を増す方法を採用。また、防波堤全体に「スローピング・ブロック工法」を採用する。これはコンクリートブロックを傾斜させ積み重ねていき、重心をずらして互いに支え合う力を発生させる工法で、広井はスリランカのコロンボ港に技師を派遣し習得させ、当時世界の最先端といわれた技術を小樽築港に注入した。

 こうして、明治41年に1289メートルの北防波堤は完成した。これは日本発のコンクリート製長大防波堤であり、100年後の現在も当時のままに機能しており、今日、土木学会から「日本土木史の驚異」と称賛されている。平成12年には土木学会選奨「土木遺産」に指定され、翌13年には「小樽みなとと防波堤」で北海道遺産にも選定されている。

 広井は小樽発展の礎を築いた恩人として今も語り継がれていて、JR小樽築港駅の近く、小樽港湾事務所に併設される「おたるみなと資料館」では、広井の経歴、功績をパネルやビデオで紹介している。現在、小樽運河に面する運河公園に広井の銅像は設置されており、小樽港を静かに見守りつづけている。

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