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2023.05.03 08:35

♪一つとせ、人の上には人はなき… 早川逸馬が朝ドラ「らんまん」で歌った「民権かぞへ歌」とは?【web限定・記事復刻】

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高知市立自由民権記念館の展示

高知市立自由民権記念館の展示


 一つとせ、人の上には人はなき…。
 
 高知県出身の植物学者、牧野富太郎博士を主人公のモデルにしたNHK連続テレビ小説「らんまん」。ドラマでは高知の自由民権運動が描かれていますが、その中で実在する「民権かぞへ歌」が登場しています。

 自由民権運動に加担していたと疑いをかけられ投獄された槙野万太郎を、政治結社「声明社」のリーダー、早川逸馬がかばう場面。逸馬は警察官に棒で押さえつけられながら、うめくように「一つとせ…」と民権かぞへ歌を歌います。民権運動の演説会の場面でも、聴衆たちが歌っていましたね。

 「民権かぞへ歌」は、逸馬のモデルかもしれない?高知の民権家、植木枝盛の作と言われています。民権家たちは演説会の開催や新聞、雑誌への執筆だけでなく、歌や踊りを通じて広く大衆に自由民権の考え方を伝えようとしていたようです。

 そんな当時の雰囲気を詳しく解説した2004年の記事を復刻しましたので、ぜひお読みください。「民権かぞへ歌」についても触れられています。

『時の方舟 高知あすの海図』(10) 第2部 民権 変革の夢(2) あふれる“遊び”の精神  高知新聞創刊100周年企画
 
 安岡章太郎さんが前にこんなことを語っていた。

 「土佐の民権というのは、遊びの要素というか、お祭りのようなところがある。そこが面白いんだなぁ……」

 自由民権運動はあくまで言論による政治・思想運動であり、民権家たちは言論に代わる武器を持とうとしなかった。そこに土佐の先人たちの志の高さがあった。

 しかしながら、演説会や懇親会、新聞や雑誌で激しい議論ばかりしていたわけではない。ときには若者たちが“旗奪い”の運動会をし、芸者たちが川原で民権踊りを繰り広げ、あるいは同志が山野に遊んで狩りをし、海辺で地引き網を引き、民権の意気を盛んにした。

 また、坂崎紫瀾(さかざき・しらん)が民権講釈で不敬罪に問われ入獄する際には、稲荷新地で“送獄会”なる宴会が開かれている。

 民権派の高知新聞、高知自由新聞が官憲から発行禁止を命じられたのに抗議して、にぎやかに挙行された“新聞の葬式”。ここにも土佐人らしい“遊び”の精神が見られるだろう。

 さらに、民権歌謡にも“遊び”がいっぱいだ。

 例えば、植木枝盛の作といわれる「民権かぞへ歌」。

 一つとせ 人の上には人はなき/権利にかはりがないからは/この人じやもの
 二つとせ 二つとはない我が命/捨てても自由がないからは/この惜しみやせぬ

 ――と、二十番まである。

 次いで、民権ジャーナリスト安岡道太郎(章太郎さんの先祖)の「よしや節」。

 よしや南海苦熱の地でも粋な自由の風が吹く
 よしや憂目(うきめ)にアラビヤ海もわたしや自由を喜望峰

 このような歌謡は、民権運動の理念と理想をしゃれた文句のなかに織り込んで、民衆のあいだでも広く歌われた。

 また、最近注目されている歌謡に「南海謡集(なんかいようしゅう)」がある。国立国会図書館で見つかり、「新日本古典文学大系 明治編(四)」(岩波書店)に収録された。

 作者は土佐の大高坂秀之。どんな経歴の人物なのか明らかでないが、七七七五の都々逸(どどいつ)で明治政府の高官を攻撃し、民権家を鼓舞している。近代日本史研究家の色川大吉さんも、「都々逸という民衆文芸を武器に圧政を批判した貴重な史料」と評価するものだ。

  御気(おき)に障(さわる)と口ふさげ共(ども)/真理自由がふさがれぬ
  土佐に築きし千破刃(ちはや)の城を/圧制政府で落(おと)さりよおか

 民権家たちの言論を封殺しようとする政府を批判し、土佐の立志社を楠木正成の千早城(千破刃の城)になぞらえて闘いへの情熱を歌っている。

  出雲の神より高知の紙は/圧制予防の妙がある

 ここに表れているのは、言論の自由を守り抜こうとする高知の新聞ジャーナリズム(高知の紙)の心意気だろう。

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