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2023.04.08 08:00

小社会 謝れない人々

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 いわゆる「霞が関文学」になるのだろう。「威圧的な言動をしたつもりはないが、受け取る側がそう感じたなら申し訳ない」といった言い回しである。

 政治家や官僚の記者会見などで時折耳にする。最近では、東証プライムに上場する民間企業への人事介入問題で、ポストを要求した当人と圧力をかけた仲介役の国土交通省OBが使っていた。冒頭はその釈明。

 果たして、謝罪になっているのか、いないのか。1回聞いただけではよく分からない。発言の構成をみると、まずは謝罪を迫られた言動の故意を否定。聞き手の解釈の問題を指摘しながら、仮定を設定した上で謝罪する形を取っている。

 要約するとどうも「誤解」だと言いたいらしいが、誤解とは「意味をとり違えること。間違った理解をすること。思い違い」(広辞苑第7版)。言外であれ、間違った聞き手側が悪いというニュアンスがある。

 官僚は誤解されないことを目的とした法律の条文や行政文書を操る人々である。緻密な言い回しでけむに巻いて、謝る気はさらさらないのだろう。ただ、謝罪するべき場面で謝れないのでは、プライドは守れても国民の信頼は保てまい。

 それでも謝る格好をするだけ、官僚OBはまだましなのかも。これまで明らかになってきた政治とカネ問題や数々の疑惑。ほっかむりをして逃げ回り、謝罪はおろか説明責任さえ果たさない。そんな政治家が何と多かったことか。

高知のニュース 小社会

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