2024年 05月03日(金)

現在
6時間後

こんにちはゲスト様

2023.03.27 08:40

指先でひらく漢字の世界 全盲の78歳、挑戦半世紀 放送大学を総代で卒業

SHARE

放送大学を卒業し、学位記を手にする大城敏雄さん(東京都渋谷区のNHKホール)

放送大学を卒業し、学位記を手にする大城敏雄さん(東京都渋谷区のNHKホール)

放送大学の卒業式で総代を務めた大城敏雄さん(東京都渋谷区のNHKホール)

放送大学の卒業式で総代を務めた大城敏雄さん(東京都渋谷区のNHKホール)

高知県立盲学校の教員時代にオプタコンを使って文字を読む大城さん(1980年)

高知県立盲学校の教員時代にオプタコンを使って文字を読む大城さん(1980年)

 元高知県立盲学校教諭の大城敏雄さん(78)=大阪市住吉区=は全盲で、文字を見たことがない。だからこそ文字への思いは人一倍強い。半世紀近く前から、指で文字を読み取る機器で漢字を覚え始め、本を読み、ついに文字を書けるようになった。

 兵庫県尼崎市出身。50年ほど前に高知に赴任した当時は、電子書籍の音声読み上げはおろか、パソコンも普及していなかった。米国で開発された支援機器に出合い、1文字1文字の形を、指先を通じて頭にたたき込んでいく途方もない営みを重ねた。

 さらに74歳で放送大学に入学し、書き取りにも挑戦した。そんな自身の体験を卒業テーマとしてまとめ、25日に都内で行われた卒業式では総代を務めた。

 大城さんは周囲の支えで不断の努力を重ねてきた日々をこう振り返る。「困ったことはあったけど、つらくはなかった。どうやって希望を持てるかを考えて生きてきた」

 大城さんは2歳ではしかの高熱により失明した。兵庫県立盲学校を経て、盲学校の教員になるため東京教育大(現筑波大)の特設教員養成部に進んだ。

 1968年卒業。地元では教員採用がなく、思案していたところに、高知県立盲学校(高知市大膳町)で教える同級生から「空きがあるぞ」と誘われた。同年5月に赴任し、マッサージの理論や実技を教えた。

 点字は小学校に入ってすぐ覚えた。しかし一般的な点字には漢字がなく、例えば、「以外」と「意外」は同じ表記になる。「漢字は一つ一つに意味がある」と教わり、「漢字を勉強して本を読みたい」と憧れたが、学ぶすべがなかった。

 75年、大城さんに新たな学びの契機が訪れる。米国で開発された「オプタコン」という支援機器を知った。

 オプタコンは印刷物の文字の形を読み取り、ピンの振動に変換して指先で判読する。横書きの場合、右手で小さなカメラを左から右に動かすと、144本の細いピンが字形そのままに左手の指の腹を刺激する。例えば最初に縦の線が伝わり、上下2本の横線が続いて、最後に縦線があれば、「口」だと分かる。

 「これを使えば、漢字を覚えられる」と翌年に131万円で購入。当時、普通車が買えるほど高額だった。

 当用漢字のうち、当時小学校で習う881字の勉強を始めた。テキストは五十音順で、最初に4年生で習う「愛」があり「形が難しくて分からなかった」。友人に1年生から習う順番に並び替えてもらった。

 学校の後、毎日1、2時間勉強して、1年後に習得した。ただ、オプタコンはアルファベットや数字の読み取りに優れる半面、画数の多い漢字は難しい。小学校の漢字だけでは本の通読は困難で「そこで止まってしまった」という。

 81年、大阪府立盲学校から「オプタコンの使い方を生徒に教えてもらいたい」と請われて転任。2005年の定年退職後は、NPO法人を立ち上げて視覚障害者にパソコンを教えるなどしていた。

 12年、盲学校の元教員が中学校で習う常用漢字1130字を、オプタコンで読み取りやすい特殊な印刷文字にしたテキストを発刊したことを点字新聞の記事で知る。

 「これで本が読める」。風呂と睡眠以外は全て漢字学習に充てた。その様子を隣で見ていた妻の文恵さん(75)は「いろんなことに一生懸命な人。一つ一つの漢字を覚えるのがすごく楽しそうだった」。

 半年足らずで学習を終えると、点字で読んだことのある城山三郎の小説を図書館で借りた。30分もオプタコンを使うと指がしびれ、1日で読めるのは4ページほど。読了に5カ月かかった。「自力で本を読めた感覚は大きかった。うまく言い表せないけど、満足感が得られた」

 古希を過ぎても、大城さんの学ぶ意欲は衰えない。

 16年から放送大学で学び始めた。19年には学士の学位取得を目指す「全科履修生」として入学した。「形になるものを残したい」との思いからだった。

 英語や統計、物理学など慣れない科目にはてこずった。「それも含めて全てが新鮮で楽しかった」。20年から6年生の漢字ドリルを使って書き取りも始めた。先生役は文恵さんだ。

 卒業研究ではそんな体験を「全盲者の漢字の読み書き習得過程 体験的研究ノート」としてA4判50ページにまとめた。

 迎えた25日の卒業式。教養学部6198人の総代として、大ホールの舞台で「指導いただいた教授や妻のおかげで論考をまとめられた」と謝辞を述べた。

 大きな拍手に包まれた大城さん。文恵さんら家族に囲まれ、「周りの人が必ず助けてくれたので、乗り越えられたかな」と、学位記を手に晴れやかな笑顔を見せた。(浜崎達朗)

高知のニュース 教育 多様な社会

注目の記事

アクセスランキング

  • 24時間

  • 1週間

  • 1ヶ月