2024年 04月28日(日)

現在
6時間後

こんにちはゲスト様

高知新聞PLUSの活用法

2023.01.02 08:31

牧野を支えた女性たち 祖母・浪子、妻・寿衛、次女・鶴代…―ドラマティックMAKINO!

SHARE

亡くなる直前の牧野博士をいたわる次女の鶴代(1957年、橋井昭六さん撮影)

亡くなる直前の牧野博士をいたわる次女の鶴代(1957年、橋井昭六さん撮影)

 牧野富太郎は3歳で父親、5歳で母親、6歳で祖父を亡くした。晩年の牧野は、こんなふうに書いている。

 〈私は幼かったから、父母の顔を覚えていない。そして、私には兄弟もなく姉妹もなく、ただ私一人のみ生まれた。つまり、孤児であったわけである〉(草木とともに 牧野富太郎自伝)

 「孤児」とはずいぶんな言い方であろう。佐川町で酒造などを営む裕福な商家「岸屋」に生まれ、祖母・浪子の愛を一身に受けながら育てられた。しかし牧野自身の〈親の味というものを知らない〉という強烈な孤独感は晩年に至るまで消えることはなかった。

 もちろん浪子は富太郎に「岸屋」を継がせるつもりだった。けれど孫の植物への異様な熱中を容認、時には支援もしていた。浪子自身も和歌や書などをたしなむ「趣味」を持つ文化人であった。しかし浪子のもくろみは大きく外れることになる。…

この記事の続きをご覧になるには登録もしくはログインが必要です。

高知のニュース ひと・人物 歴史 牧野富太郎

注目の記事

アクセスランキング

  • 24時間

  • 1週間

  • 1ヶ月