2023.04.26 17:06
若き牧野富太郎「人間は自由で平等」 民権運動にのめり込む―ドラマティックMAKINO!
自由民権運動に関わっていた頃の牧野富太郎=中央。佐川の青年たちとりりしい表情で写っている。右端は佐川町の青山文庫の前身を創設した川田豊太郎(川田隆生さん所蔵、高知県立牧野植物園提供)
牧野富太郎(1862~1957年)は、高知で多感な青少年時代を過ごした。ちょうど日本が近代国家へと変革を遂げていたころであり、若き牧野の情熱は自由民権運動にも注がれていた。朝ドラ「らんまん」には、そんな民権家と交流し、日本で初めて女性参政権を訴えた「民権ばあさん」こと楠瀬喜多をモデルとした人物も登場。こちらは、県出身の島崎和歌子さんが演じることになっている。それでは若き日の牧野の足跡と、時代の流れをたどってみよう―。
〈自由党が盛んで、『自由は土佐の山間から出る』とまでいわれ、土佐の人々は大いに気勢を挙げていた。本尊は板垣退助で、土佐一国は自由党の国であった。従って私の故郷も全村こぞって自由党員であり、私も熱心な自由党の一員であった〉
〈人間は自由で、平等の権利を持つべきであるという主張の下に、日本の政府も自由を尊重する政府でなければいかん。圧制を行う政府は、打倒せねばならんというわけで、そこの村、ここの村で盛んに自由党の懇親会をやり大いに気勢を挙げた〉
牧野は自叙伝で、青年時代をそう振り返っている。
明治初期、近代国家として歩み始めた日本で、多くの人があるべき国の形を模索していた。その中で起きたのが自由民権運動だ。民権思想の下に人々が集う結社は、高知市の立志社をはじめ、県内各地で立ち上がった。佐川でも1878年、南山社ができた。
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板垣退助を旗頭とする民権家らは藩閥政治を批判し、権利の主体は市民だと主張。74(明治7)年には、国民が選んだ議員で構成する国会開設を求め「民撰議院設立建白書」を政府に提出し、幅広い国民の関心を呼んだ。
女性参政権を求め、男女同権を訴えた楠瀬喜多(高知市立自由民権記念館所蔵)