2022.12.21 08:48
父親が、赤ちゃんを抱いて亡くなっていた―。昭和南海地震、記憶を残すラストチャンス 土佐清水市全域聞き取り、高知市児童に紙芝居
土佐清水市の調査で、被災体験を話す脇谷義孝さん=中央(同市大津)
12月8日、土佐清水市西部の大津集落で、脇谷義孝さん(82)への聞き取りが行われた。市職員と郷土史同好会のメンバーは約1時間にわたり、質問項目を記した紙を手に当時の行動と思いをメモしていく。
「岩を引きずる」
同市では地震で7人が死亡した。被災証言は、市西部の三崎地区で1993年に住民らがまとめた冊子があるが、全域では乏しかった。市は「個人の感じたことを詳細に残したい」と、今年8月から全域で調査を進めている。
「真っ白な波が一直線に来ていた。父が『津波だ』と皆に叫び、山に逃げた」「2、3回、大きく引く波を見た。潮が上がる時は静かだが、引く時は大きな岩を引きずるように引いていた」「川を石がガラガラ音を立てて何度も上ったり下がったりした」
これまで、下川口で祖母を亡くした女性(91)や脇谷さんら約60人が生々しい証言を寄せた。津波による大きな被害はないとされていた市西部のうち、下川口地区などでは揺れで家が倒壊していたことなどが詳細に浮かび上がった。
調査内容は、2023年度に刊行する市史とホームページに掲載する。同好会会長の武藤清さん(78)は「地震に遭遇した人たちの言葉が大切。これを残しておけばきっと、後世の人も地震の怖さを実感できる」と期待を込める。
赤ちゃん守って
「津波が来るぞう! 津波が来るぞう! 皆がそう言いながら必死に津波から逃げていました」
高知市日の出町の昭和小学校で定期的に行われる防災参観日。約540人の全校児童が見守る各教室のテレビ画面から、女性の感情を込めた声が響いた。76年前、この地域で実際に起きたことだ。
紙芝居で子どもたちに昭和南海地震の被害を伝える下知地区の住民(高知市二葉町)
地震では国分川の堤防が決壊し、倒壊した家々で救出作業が続く中、瞬く間に水が押し寄せた。次の南海トラフ地震は最悪の場合、同小付近には40分で30センチの津波が来て、3~5メートル浸水するとされる。
紙芝居は16枚。主人公の「竹じい」が、孫に向けて体験を語る内容だ。当時15歳で、昭和小そばに住んでいた岸田康彦さん(91)の話を基に物語を練った。
中学生だった竹じいは、つぶれた隣家から夫婦と子どもを助け出した直後、瞬く間に水に漬かり、昭和小の2階へと逃げる。
「あと10分、逃げるがが遅かったら津波にのみ込まれちょった」。そんなせりふとともに、家々が水にのまれる様子が描かれる。それでも隣家の家族は全員助かったという筋書きだが、岸田さんが実際に見た光景は違う。
倒壊した梁(はり)の下敷きになった父親が、赤ちゃんを守るように抱いて亡くなっていた。
「命は尊い。子どもたちには日頃から助け合いや感謝の気持ちを持って育ってほしい」と岸田さん。絵と文を担当した会社員の高橋尊(みこと)さん(23)と昌美さん(54)の親子は昭和小卒業生で、「ここに住む若い子たちに紙芝居で体験をつなげたい」と話す。
下知地区の二葉町自主防災会長を務める西村健一さん(69)は「他にもまだ体験者がいる。聞き取りを進めて物語にしていき、防災への新たな活路にしたい」。昭和小では、きょうも児童に紙芝居が披露される。(山崎彩加)