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2022.11.13 08:36

家族で「避難」話そう 石巻市大川小卒業生 高知の中学生に講演

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大川小から思い出と教訓を話す永沼悠斗さん(宮城県石巻市)

大川小から思い出と教訓を話す永沼悠斗さん(宮城県石巻市)

 2011年の東日本大震災で、児童・教職員84人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の卒業生で、2年生だった弟と祖母、曽祖母を亡くした永沼悠斗さん(28)=同市=がこのほど、同小から本紙「防災いのぐ記者」の県内中学生7人にオンラインで講演し、平素から命を守る行動を取るよう訴えた。講演要旨は次の通り。

 大川小は、かわいがっていた弟を亡くした場所であり、思い出もある母校。訪れた人は、他に建物がほとんどなく「寂しい場所」と言う。大川小は街があった証明であり、命を守る行動を学べる場所。悲しいだけではない。

 ここにある石碑には海抜1・12メートルと刻まれている。海抜を意識したのは震災の後だった。住んでいる地域の海抜が低いと水害に遭う可能性が高い。自宅や通学路の海抜を調べておいてほしい。

 あの日、校舎には2階の天井まで津波が来た。体育館とをつなぐ渡り廊下は北上川をさかのぼってきた津波で海側に倒れた。運動会では得点が掲示され、脚光を浴びる場所だった。津波は海から来ると思われがちだが、河川をさかのぼる津波もある。

 校舎の裏山でシイタケを育てていた。ここを想定して避難訓練をしておけば、違う未来があったのに。

 震災2日前の3月9日に地震があった。一人で海にいて、松の木がすごく揺れた。全速力で自宅へと逃げた。その晩、家族でカレーを食べた。災害の話はしなかった。

 大川小に津波が来たらどうするか、問い掛けることもできた。11日までの2日間、行動しなかったのは人生最大の後悔。祖母と曽祖母は11日の地震後、スクールバスで帰ってくる弟を迎える準備をしていた。二度と会えなくなってしまった。

 大切な人と過ごす時間は当たり前ではない。まず生き延びることを意識し、事前に家族と避難行動を話し合うことだ。助かるのは皆さんの行動次第。災害で命を失わない未来をつくろう。(構成=藤枝武志)

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