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2022.10.14 05:00

「勉学の心得を定めた15カ条」シン・マキノ伝【11】=第2部= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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 牧野は明治14、15(1881、82)年頃、つまり20歳頃に、15カ条からなる勉学の心得を定めた。題して「赭鞭一撻(しゃべんいったつ)」である。赭鞭とは、赤い鞭(むち)のことで、古代中国の三皇の一人神農が赤い鞭で百草を打って、その汁をなめて味や薬効を確かめたという。日本では、その故事に基いて本草家のことを赭鞭家と呼び、富山藩主・前田利保(1800~59年)を中心とする本草学に関心のある人々が集う同好会(研究会)を赭鞭会と言った。牧野は中国の故事と日本での呼称を踏まえて、かつ鞭を持って励ます意味合いを加味して、自分が植物を研究していく実践の目標に「赭鞭一撻」とネーミングしたと思われる。どのような項目からなるのか、その内容を見ておきたい。

牧野富太郎「赭鞭一撻」の原本(高知県立牧野植物園所蔵)

牧野富太郎「赭鞭一撻」の原本(高知県立牧野植物園所蔵)

 まずは、何事においても忍耐と精密が肝要であり、植物でも読書でも学問でも広く学ばなければならないとする。これらに加えて洋書の講読も1項目を立てて掲げる。これらの目標は植物学に限らずどの学問を習得する場合にも当てはまるものであり、何かをやろうとする場合にも必須であるが、実行はなかなか難しい。

 続いて、植物学における具体的な実践目標が示される。すなわち、文章だけでは言い尽くせないことがあっても図を作ることによって分かりやすくなることから、正確に描く方法を学び、自分で描いた図とよく考えた文章によって植物の特徴を明確に把握できるようになること、研究において必要なものをそろえるためにはお金を惜しんではならないこと、たとえ険しいところを登ろうとも…

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