2022.07.26 08:35
トンボ王国(四万十市)の「さかな館」 四万十川から環境学ぶ―そして某年某日(19)
「これまた何と小さい!」。マゴチの稚魚を指先に乗せ、感じ入る野村彩恵さん(右端)=四万十市の四万十川河口
さまざまな人や風景の「ある日」「そのとき」を巡るドラマや物語を紹介します。
「おった~。ミナミサルハゼ、おった~」「ほらそこオニカマス!」「えっ…これ誰の子?」
四万十市を流れる四万十川の汽水域。ウェーダー(胴長)姿の3人が、浅瀬で引き終わった網を囲む。網の中には体長数センチの幼魚が、ちらほら。
魚種を見定めるのは、「トンボと自然を考える会」(同市具同)のスタッフたち。許可を得て採取した魚の一部はバケツに入れ、トンボ王国の「学遊館あきついお」(同)に持ち帰って展示する。
「考える会」によると、四万十川でこれまでに確認された魚は220種を超える。同館ではそのうち常時100種以上を展示している。比較のため日本各地、そして世界の魚も飼育する。
一般的な「水族館」のイメージよりは、ずいぶんと小ぶりな施設だ。
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学遊館の前身は、トンボ標本などの展示施設。1990年に市が設置した。
その「トンボ館」を増設する形で2002年、「さかな館」を整備。2館を合わせた「学遊館」は今月、オープン20年の節目を迎えた。
施設の指定管理に当たるのが「考える会」。常務理事の杉村光俊さん(67)によると、当初は「トンボ館」の一室に水槽を並べ、魚を展示した。これが入館者の間で受けた。
トンボと魚。意外な組み合わせにも思える。
しかし杉村さんによると、トンボは水生昆虫。同じ水辺の生き物として、魚類と双方の生態に通じた研究者は少なくない。杉村さんもその一人だ。
ただ「トンボ館」内のミニ水族館は、行政的な視点から問題が指摘された。
「トンボ展示施設で魚を飼うのは、目的外使用ではないか」
奇策というか、解決策として杉村さんが「さかな館」の新規整備を提案。市民の賛同も得て同年7月5日、オープンにこぎ着けた。
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「地味っちゃあ地味ですよね。トンネル水槽もなければ、コツメカワウソもいない。アカメやピラルクなど大型魚はいるものの、フナをはじめ日本の淡水魚は目立たないものが大半ですし」(杉村さん)
入館者数は長期の低迷傾向が続き、経営は厳しい。重くのしかかるのが電気料金。特に夏場には、水槽の水の冷却に多くの電力を消費する。
過去には電気代の支払いが滞り、電力会社から「近く電気を止める」と警告が届いたことも。
もしも電力が途絶えたら…。各水槽で一斉に酸素供給、水温調整、ろ過などの機能が止まる。魚たちには逃げ場がない。
そんな危機を何度か、必死でくぐり抜けた。
杉村さんによると、悪いことがあれば、それは次にいいことが起きる前兆。トンボの希少種の探索も、そうだという。
「おととしがだめ。去年もだめだった。原因は、まず時間帯、次に天気だったかも…。そしたら今年は、すてきな出会いしか残らん!」
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「さかな館」のバックヤードで水槽を手入れする平林歩子さん
四万十流域など地元に生息する魚の多くは、スタッフが自ら採取する。
「さかな館」を統括する野村さんによると10年ほど前まで、河口の浅瀬には、優に30センチを超える長さのコアマモが密生。さまざまな稚魚をはぐくむ「ゆりかご」「隠れ家」の役割を果たしていた。
そこで1回網を引けば、シマイサキなどの幼魚が100匹単位で入った。その中から展示用の魚を探し出した。
この3、4年でコアマモが激減し、かつての5分の1ほどの量になった。網に入る魚の数、種類ともに大きく減った。
かと思えば、過去に見掛けなかった南方系の魚が、河口域に現れるようになった。温暖化の影響とみられる。
トータルでみれば、四万十川の環境は単調化に向かっているのではないか―。それが現場の肌感覚だ。
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「さかな館」の展示の一部。餌の時間を迎えると、魚たちが活性化する(四万十市具同の「学遊館あきついお」)
朝、出勤した野村さんは魚に餌を与えながら、健康状態を確認する。
「魚たちの“顔色”が見えるんです。早くごはんちょうだい。水槽の水が替わって気持ちいい。ちょっと具合が悪いかな」
朝は餌に飛びついても、夕方に様子が変わることがある。だから気が抜けない。
地元での魚類採取は、生態・環境の調査を兼ねている。魚種によっては、館内で繁殖にも取り組む。
展示については「玄人好みかも」という。
例えば、河口域に生息するヨウジウオの仲間。黒っぽくて、針金のように細長い。さほど目を引く存在ではない。
しかしこのヨウジウオ類、実は5種をそろえているという。
じっくり眺めたら、しま模様のカワヨウジ、白い点がちりばめられたガンテンイシヨウジ…。
なぜ彼らは微妙に異なっているのか? 自然界の不思議、多様性の一端が、水槽に閉じ込められている。
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野村さんは「さかな館」オープン4年目から、ここで働き続けた。
「この仕事で『好き』は当たり前。魚はしゃべらないので、観察する力が求められます。それと責任感。何といっても“命”を預かっていますので」
「設備や人手に限界はあるけれど…。それはお客さんには関係ない。魚たちを見て視野が広がったり、身近な自然の価値に気付いてもらったり。その『きっかけ』になれば、うれしいです」
小さな水族館の、20周年の夏。杉村さんが「ほかのどの施設もまねできない」と胸を張る展示を、スタッフの思いが支えている。(福田仁)