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2022.06.28 08:28

キリン繁殖、全国で連携 アフリカの血統を守り継ぐ―そして某年某日(18)

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 さまざまな人や風景の「ある日」「そのとき」を巡るドラマや物語を紹介します。

私は多摩へ ノンはのいちへ キリン繁殖 全国で連携

 動物園のキリンの血統を踏まえて「嫁入り」「婿入り」の行き先を調整し、末永い繁殖につなげる取り組みを、ほかの動物と同様、全国の動物園が連携して行っている。

 写真(※新聞紙面のみ掲載)の女の子は東京・多摩動物公園に来たアミメキリンのアカリ。今月初めに広島市の動物園から嫁入りした。

 東京にもらわれたアカリの交換で先月19日、香南市の県立のいち動物公園には新入りノンがやってきた。

 キリンたちのヒストリーを追いかけた。


 上の図をご覧になってください。

 香南市の県立のいち動物公園のアミメキリン「ノン」(2歳)や「ジャネット」(24歳で他界)たちの血統図。2011年スタッドブック(アメリカ動物園水族館協会発行)と取材を基に作成した。動物園のスター、キリンのヒストリーを追った。

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 動物園キリンの血統をさかのぼると、行き着く先はアフリカの野生キリン。捕獲を意味する「キャプチャー個体」とも呼ばれる。

 東京・多摩動物公園の元園長で、1951年にケニアで野生キリンの捕獲に同行した林寿郎さんの本によると、トラックで群れを追尾し、幼獣を捕らえたとある。〈用意した竹ざおの先に輪になったロープをつるし、これをキリンの子の首にかけて生けどってしまう。トラックから輸送箱を降ろし、これにキリンの子を入れます。キリンの母親は夕暮れの草原に、ひとり、いつまでも去らず、しょんぼりと立ち続けて見送っていました〉(「動物と人間」より)

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 日本におけるキリンの飼育開始は07(明治40)年。草分けは東京・上野動物園だが、その血統はいったん途切れた。

 野生キリンの輸入と飼育の本格化は50~60年。多摩動物公園は大阪・みさき公園と並ぶ繁殖の中心地で、タカミ、ナガエ、ノブエといった多産の雌が次々と子を産み、群れで幼獣を育てた。

 雄キリンの始祖と言えば60年に来日した多摩の人気者タカタロウ。飼育員の弁当のトンカツを横取りし、生きたハトも食ったという逸話を残す。ノンとジャネットの曽祖父にも当たる伝説のキリンだ。

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 昭和の高度成長期から多摩産、みさき産を中心に各地に供給され、日本のキリン頭数は89年にピークの234頭に達する。

 しかし濃い血縁同士の交配も結構多く、悪影響が懸念され続けた。一方で野生キリンの輸入は平成以降、事実上不可能に。野生動物の保護の観点や、長期に及ぶ入国検疫が理由だ。

 こうした中で生まれたのが「血統管理」の思想。国内の全動物園が連携し、「種別計画管理者」と呼ばれる専門担当者を1人置き、繁殖に適したペアを考えて配置する。89年には北米の動物園からキリンの輸入も始まった。他国の「新しい血統」の導入だ。

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 のいちでは、キリンの飼育が始まってすでに13年がたっていた。出産に恵まれず、赤ちゃんを産むことが園の悲願となった。

 雌のジャネットは高齢化し、担当者は焦る。雄の精液を採取して調べると、無精子だと分かった。「このままでは高知からキリンが一頭もいなくなる」

 リンタロウはそうした園の悩み、血統管理の思想の下で苦労し探し当てた、期待の新血統だった。

 担当者は県と交渉して購入を進言。米・マイアミの動物園から特注の箱に入り、飛行機で来日。当時2歳。購入費は輸送経費などを含め1700万円。

 若いリンタロウは愛嬌(あいきょう)があった。夜は飼育員の前で座って寝る。やがてジャネットを追い始めた。「できるヤツだ」と飼育員。死産となるが、3年後に1度目の妊娠に至る。

牛の初乳をもらうイブキ(2014年12月24日、のいち動物公園)

牛の初乳をもらうイブキ(2014年12月24日、のいち動物公園)

 そして2度目のチャンスが来た。妊娠の兆候だ。妊娠期間の420日、飼育員は一日たりとも息を抜かず、ジャネットを見つめ続ける。2014年12月24日のクリスマスイブ、初のキリン出産に成功する。子は自力で立てなかったが、飼育員らが腹に手を入れて支え上げ、あらかじめ用意した「牛の初乳」を飲ませて敢然と立たせた。

 18歳での初出産は国内の新記録。初子の名はクリスマスイブにちなむイブキ。その後もキュウタロウ、サンタロウの2頭に恵まれた。高齢初産から3頭続いた成功は快挙。近所の真嶋牧場(真嶋順一さん経営)の協力で、出産時に「牛の初乳」を飲ませるアイデアや生乳による人工飼育は特に刮目(かつもく)された。

 心強い3頭を産んでくれたジャネットは一昨年、獣舎で体を横たえ、24歳で息を引き取った。

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イブキ=左=と後ろ脚に装具を着けたハグミ=中央(2020年7月、広島市の安佐動物公園=同園提供)

イブキ=左=と後ろ脚に装具を着けたハグミ=中央(2020年7月、広島市の安佐動物公園=同園提供)

 初子のイブキは広島市の安佐動物公園へ。繁殖目的で動物を貸し借りする「ブリーディングローン(BL)」に基づく。飼育員は大切に育て上げたイブキを手放すのが寂しかったが、BLの目的は他園で子を産んでもらい、所有権を持つその子をさらに譲り、適正な血統の子を迎え入れることだ。

 広島のイブキはやがて雌との間に二子をもうける。1頭目のハグミは生まれつき脚が曲がっていて、地元大学の支援で特殊な補助装具を着けた歩行を重ねた。今では装具を外して歩き、広島の人気者だ。

 2頭目も雌で名は「アカリ」。ちなみにイブキが初乳をもらった牧場の母牛の名もアカリ。広島のアカリは1歳半で多摩に嫁入りし、その交換で、のいちに別の子がやってきた。

 それがノン。ジャネット出産から8年。出産→貸し出し→繁殖→交換のリングがひと巡りした。

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初めて屋外に出たノン=右=とリンタロウ。副園長の本田祐介さんは感動してスマホのカメラを向けた(6月6日、のいち動物公園=本田さん撮影)

初めて屋外に出たノン=右=とリンタロウ。副園長の本田祐介さんは感動してスマホのカメラを向けた(6月6日、のいち動物公園=本田さん撮影)

 ノンは一昨年3月、27歳8カ月の母ノゾミから生まれた。全国で歴代4位、多摩ではハルカゼの27歳10カ月に次ぐ高齢出産。これまで出産した5回の子は育たず、ほかのキリンの子に乳を飲ませる役を担ったノゾミ。最後に自分の子を産み、程なく他界した。ノンは、ほかの雌キリンから乳をもらった。

 群れで育ったノンは今年5月19日、トラックに乗り、元気にのいちに着いた。獣舎に入り、リンタロウたちとも打ち解けた。「集団で育ったからキリン慣れしているなあ」と飼育員。

 6月6日の休園日、リンタロウと2頭で、初めて展示飼育場に放飼された。

 ノンの父方は北米の動物園に代々育ち、「パメラ」「ジャック3」といった北米血統の始祖を持つ。

 12年前、海を越えてやって来たリンタロウとも、同じアフリカ生まれのルーツの血統に行き着く。

 雨上がりに2頭が美しく立つ。そこに見える存在の不思議に打たれた。 

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 キリン飼育に携わる方々の言葉を紹介しよう。

 「これほど大きな姿をしてアンバランスで美しい、見事な生き物はありません。いつまでも見られることが願いです」(キリンの種別計画管理者、多摩動物公園の清水勲さん)

 「朝来たとき、ジャネットが横たわり、静かに亡くなっていた。大阪から来たときからの付き合いです。本当にお疲れさま、ありがとう、涙ながらに思いました」(のいち動物公園キリン担当、小西克弥さん)

 「ノンが来たのを見届けて、一つの到達点に来たなと。同時にこう思いました。また始まるなあと。ノンとリンタロウの子が楽しみです」(同総務企画課チーフ、イブキらの飼育を担当した仲田忠信さん)(石井研)

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