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2008.03.10 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』ゴールドラッシュ

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宿毛市の丸島


 港湾、ダム、鉄道、工業団地…。昭和五十年代から1千億円以上の公共投資を吸い込んだ宿毛市。原油基地や空港建設まで包み込もうとした大風呂敷は、青写真に化け、計画に予算がついた。熱を帯び、膨らむ時代の宿毛を象徴する“無人島”。丸島という。
 
 約3ヘクタールの島は、大分県とを結ぶフェリーが発着する片島岸壁の近く。港湾工事資材の間を、野良犬が速足で歩く。向こう岸が騒がしい。ジャコの天日干しが並ぶ岸壁に磯釣り客を乗せた船が戻った。
 
 昭和50年代。工業流通基地化の構想が浮上。丸島は広大な団地構想の東端に位置づけられた。個人所有だった丸島を県が買い取ることが論議を醸したものの、「巨大プロジェクトの一歩目でつまずいてどうする」との声が通った。
 
 昭和60年に大橋が完成。片島地区と陸続きとなった。重要港湾の指定を受けた湾港用ケーソンを製作するため、島半分の山が切り飛んだ。四階建てのビルぐらいのコンクリートの塊が林立。工事がピークを迎えた平成7年ごろには、島に2百人以上の工事関係者がひしめいた。
 
 「丸島だけじゃない。当時の宿毛は、巨大工事がめじろ押し。地元業者が130%の力を出さねば、追いつかんかった」と工事業者。丸島は今でも漁港整備の資材製作に使われているが、かつての活気はない。従業員のボーナスが滞り、作業服の支給もなくなる業者が増えた。
 
 湾港整備も見直しを迫られた。丸島から西へもう1本架ける予定だった橋は、現計画にはない。行政側が先行取得した関連用地は、用途を失ったままだ。

    ◇        ◇
 
 宿毛湾には数々の島があった。片島、池島、大島…。だが人口増に伴い、海は埋め立てられ、島だった面影はうかがえない。「かつては行政じゃなく、地区が木造の橋を架け、2、3銭の通行料を徴収していた」。そんなエピソードを知る人も少なくなっていく。
 
 水深や静穏度に加え、多くの島々の影は、日本海軍の連合艦隊を宿毛に引き寄せた。昭和6年ごろから昭和16年の日米開戦までの間、連合艦隊が毎年のようにやってきた。その数、30隻ほど。「陸から沖を眺めると不夜城のように電光がともり、田舎町の沖合に大都市ができたように明るかった」。海運会社会長の立田敬二さん(83)=片島=は振り返る。風呂を楽しみにする隊員たちは、丸島の横をすり抜け小舟で片島に上陸した。
 
 「島の西側の浅い砂地でキスゴがよう食うた」と立田さん。子どもたちは砂地でゴカイを掘り、木製の櫓(ろ)こぎ船を浮かべて釣りに興じた。昭和20、30年代には宿毛周辺の材木を求め、大手パルプ業者が押し寄せた。その接待で喜ばれたのが、キスゴ釣りだったそうだ。
 
 かつて一面緑だった丸島。「昔はアカマツがどっさりあって、マツタケがとれたらしいぞ」。丸島で工事作業に携わった建設関係者がニヤっと笑った。光と影を併せ持つゴールドラッシュ的な雰囲気が、つきまとう島なのかもしれない。(宿毛支局・早崎康之)

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