2017.02.14 08:30
大流通を追って 消えないカツオ(5)長崎に上がる新商材
一方で、漁師はここ20年以上、漁獲減を嘆く。新聞には近年「不漁」「危機」といった見出しが並ぶ。
それでも、県内の量販店には今日もカツオが並んでいる。
海上の生産者の感覚とは裏腹に、高知県民にとってカツオは、むしろ“消えない魚”ではないのか。
不漁なのに、なぜ消えないのか。消費地・高知を中心に陸のカツオを追った。
◆
長崎にカツオ漁船はない。カツオを水揚げするのは高知や宮崎の一本釣り船だ。
「ほーい。上げてよかよお」
午前3時半。長崎魚市場の岸壁に掛け声が響き、宮崎県日南市の「第28進漁丸」(19トン)が水揚げを始めた。
甲板に渡されたベルトコンベヤーを伝って、カツオの入った発泡スチロール箱が次々に上がる。高知の港でかぎ慣れたカツオの“体臭”が漂った。
阪元三男漁労長(66)は岸壁のへりで待ち構え、カツオに交じって釣れたコシナガマグロをより分ける。
「今の漁場は韓国とのライン(境界)の近く。カツオも頭良くてな、ラインの向こうへ逃げる。おいたちは行かれんとよ」
漁は例年2月から宮崎県沖のパヤオ(浮き漁礁)を中心に始まる。6~9月は五島列島周辺などで釣り、長崎に水揚げ。10月以降は南西諸島へ下る。
高知の船も同じ漁場で操業するから、知り合いも多いという。
「高知の漁師はしけでも漁に出る。おいたちは命が大事、しけの日は休む。昔から言うとよ、『高知船が通った後は草も生えん』って。ははっ!」
数日前までは幡多郡黒潮町の「第28福吉丸」(19トン)など数隻の高知船が操業していたが、機関の故障などで、この日の水揚げはなし。深夜から明け方にかけ、宮崎船5隻が入港した。
◆
長崎県に水揚げされる魚は300種を超える。日本一の豊富さとされ、ここではカツオも夏限定の一魚種にすぎない。
実は長崎の消費者にとって「カツオ」といえばハガツオの方が一般的で、食べてきた歴史も古いという。わざわざ「本ガツオ」と区別して呼ぶカツオについては、同県の水産担当者が「県外出荷用の魚」「地元の漁師がとらないので愛着がない」「本ガツオは足が速く(傷むのが速く)、食べる習慣がない」と、何とも素っ気ない物言いをする。
カツオにしぼった水揚げデータは、卸売業者「長崎魚市」がまとめた1989(平成元)年以降の記録しか見つからない。
同年からの10年間は年平均797トンで推移。99年以降は年平均1368トンと大幅に増え、3千トンを超えた年もあった。
この推移は、長崎魚市場で最も多くカツオを扱う仲卸「ヤマス」の渡辺英行社長(57)の記憶と一致している。
鉄鋼会社を退職し、父の経営するヤマスに入社したのは91年。
「あのころカツオは全然クローズアップされていなかった。うちが本格的に扱いだしたのは十数年前から。それより前は、私だってハガツオしか食べたことなかったですよ」
宮崎県の漁師や高知県の一本釣り船主らの話では、昭和にも長崎沖で漁はあったらしい。ただ、かつお節用に鹿児島県に水揚げすることが多く、長崎魚市場を通じた生鮮カツオ流通の本格化は「平成以降」という。
ヤマスなどの仲卸業者らが販路や流通網を確立▽需要が生まれることで競り値が上がる▽一本釣りカツオの水揚げが増える―という循環だ。近年では、別の魚種が減る夏場を支える“救世主”的存在でもあるという。
「カツオは長崎に、もともとなかった商材。それが平成に入って出てきた。そういうイメージの魚です」と渡辺社長。カツオ資源の将来を危ぶむ高知とは、全く別の“潮流”の中にいた。