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2024.03.15 15:08

古川登志夫「台本をもらえるのは良くて前日、遅いと当日。リテイクはほぼできない」 ベテラン声優が語る80年代の吹き替え・アニメ制作の舞台裏 

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 「当時は主要キャラの声優が脇役の声を兼ねることも多かった。いくつやってもギャラは同じです」と笑う古川登志夫

 1980年代のアニメ「うる星やつら」で主人公・諸星あたるを演じ、近年は「ONE PIECE」のエース役などでも知られる声優の古川登志夫。80年代に吹き替えを担当した洋画「真夜中の処刑ゲーム」の2Kリマスター版ブルーレイ発売に合わせ、収録当時を振り返った。今や大ベテランとなった古川が「厳しい先輩方に囲まれて、過酷だったけどいい時代だった」と語る、70~80年代の吹き替え、アニメ制作の舞台裏とは。



 【ふるかわ・としお】栃木県出身。1970年代から洋画の吹き替えやアニメの声優として活躍。アニメ「ドラゴンボール」(ピッコロ)シリーズなど出演多数。現在は俳優・声優養成所「青二塾」の塾長として、後進の育成にも力を入れる。



 (1)「師匠」中田浩二との思い出


 


 記者 30年以上前に収録された作品ですが、当時の記憶はありますか?



 古川 海外ドラマや洋画の吹き替え、いわゆるアテレコの仕事を始めたのは25歳の時だったんですが、それから15年ぐらい後に収録した作品です。アテレコの仕事が一番面白くなっていた時期だったので、どんな仕事でも入るとうれしくて、一生懸命やっていました。



 記者 印象的だった出来事は。



 古川 僕の師匠に当たる中田浩二さん(人形劇「サンダーバード」のスコット役など)が出ておられて、師弟共演のようになったことです。うれしい一方で緊張もあって、その二つの気持ちがないまぜになった心境を今でもよく覚えてます。



 記者 初めての共演だったのでしょうか?



 古川 初めてではないんですが、久々でした。中田さんと最初に共演したのは僕のデビュー作。「FBIアメリカ連邦警察」という作品で、パトカーにFBI本部から無線で連絡が来る、その無線の声が僕でした。たった一言でしたが僕にとっては長くて、タイミングも全然合わなくて。結局は後から僕1人で録音してはめ込んでもらうことになりました。中田さんが横についてくれて「俺が背中ポンって叩いたらしゃべればいいから」って言うんですけど、ポンってやられたら逆に(言葉が)出なくなっちゃうんですよ(笑)。



 記者 当時の中田さんはどんな雰囲気でしたか。



 古川 寡黙な方で、自分の出番以外は文庫本をよく読んでらっしゃいました。当時はスタジオに灰皿が置いてあって、自由にタバコを吸えたんです。煙がもくもくで、画面が見えなくなるくらい。今じゃ考えられません。中田さんもヘビースモーカーで、缶ピースを吸いながらじっと本を読んでおられて、出番になるとパタっと本を閉じて、たばこを揉み消していって、ペラペラってしゃべって、また戻ってくると文庫本を見て。なんという余裕だろうと思いますね、あの世代の方々は。本当にプロ中のプロという感じでした。演技はもちろん、声優としてのたたずまいみたいなものも含めて、とにかくかっこいい。それをちょっとでも盗めれば、と思っていました。



 記者 まさにレジェンドですね。



 古川 プロ意識が高い分、厳しい方も多かったです。演出家の方も厳しかった。今でこそ演出家と声優というのはアーティスト同士ということで、対等な感じですけれども、当時は演出家の指示は絶対、という感じでガツンと言われる方も多かったですね。



 (2)過酷! 80年代の吹き替え・アニメ制作現場



 記者 80年代はテレビで毎日のように洋画が放送されていましたが、制作のスケジュールはどんな感じだったのでしょうか。



 古川 当時は前日に台本もらえればいい方だったかな。遅いと当日です。そこで初めて目を通して、みんなで1回、映像を下見するんですね。それからテスト、ラステス、本番。これが定番の流れでした。



 記者 アニメでも?



 古川 アニメでも。スタジオに行くとうず高く台本が積んであって、一冊ずつ取ってチェックして「おれ今日大変だよ、お当番だ」とか「今日は少なくて楽だ」とか初めて分かる。過酷な状況でした。今は事前に素材を頂いて準備もできるようになったので、ありがたいです。



 記者 当時は別取りもめったになかったんですよね。



 古川 そうですね。場面にもよりますが、多いと20人くらいがいっぺんにスタジオに入ってました。フィルムは長いと1ロール30分くらいあるんですが、当然その間は自分の出番が終わっても出ていけない。咳払い一つできないので、大変でした。



 記者 そうなると、リテイクは…?



 古川 ほとんどできない。まあ人間ですから、失敗してリテイクになることはありますよ。ただ、憎らしいことに先輩方は失敗しないんですよ。それで僕らがちょっとこぼれる(話し終わりのタイミングと口の動きが合わなくなる)と「余分にしゃべったからってギャラがたくさんもらえるわけじゃないぞ」なんて冗談交じりに言われたりして。僕ら新人は「トチったら先輩に迷惑かかる、大変だ」と緊張でガチガチになっていました。



 記者 厳しいからこそ、教わったことも多かったのでは。



 古川 そういう場面もありましたね。富山敬さん(アニメ「宇宙戦艦ヤマト」古代進役など)や内海賢二さん(アニメ「北斗の拳」ラオウ役など)は大先輩ですけど、僕らにすごく優しかった。内海さんは僕らが現場でダメ出しされて落ち込んでいると、帰りに「おい登志夫、お茶でも飲むか」なんて誘ってくださって「きついこと言われてたけど、俺もあの演技で良かったと思うよ」とか慰めてくれるんですよ。笑い方とかも「あの場面は普通に笑うんじゃなくて、こんな風に笑うんだ」って、喫茶店で実演してくださって。こんな先輩に将来なろう、と思いました。



 記者 それを実践されたと。



 古川 はい。だから僕は「優しい先輩」で通ってるはずです、多分(笑)。野沢雅子さん(アニメ「ドラゴンボール」孫悟空役など)も本当に優しくて、新人がNGを出すと、野沢さんが「『野沢(N)だけグッド(G)』。私だけ良かったのよね」なんて冗談で笑わせるんですよ。それで新人が笑うと「私の若い頃、あなたほどできなかったわよ。コーヒー飲みなさい」なんて言ってくれて。僕も後輩ができてから「あれを見習おう」と思って、後輩にコーヒー入れたりしていました。



 (3)古川流・役作りの「企業秘密」公開します



 記者 最近は個別録音が増えて、先輩後輩の交流が減ってしまいましたね。



 古川 コロナ禍がありましたからね。一番ひどいときは1人か2人。最近やっと3人とか5人ぐらいになりましたけれど、昔とは全然違います。



 記者 若い声優さんのお話を聞くと、そういった交流がなかなか持てないので、映像作品を見て勉強するという方も多いようです。



 古川 それは今のいいところですね。録音が残る。ただ、生の演技を目の前で見ることで学べるものもありますからね。声優としての在り方、演技プランの立て方、ダメ出しをされた時の変え方。そういうものは出来上がった作品には出てこない。そう考えると、僕はいい時代に若手でたくさん仕事をさせてもらったかもしれません。



 記者 収録の環境は大きく変化しましたが、役との向き合い方に変化はありますか?



 古川 昔は収録前にスタッフの方から梗概を聞いて「この役は悪玉だな」とか大雑把にくくっていたんです。悪玉だ、いい人だ。それでイメージを組み立てていた。今は資料も豊富ですし、時間も頂けるので、最初に「悪役だ」と思ったら、次はその対極にある善良な部分みたいなものはどこかにないか、と探るんですね。そうすると、演技に幅ができる。その振幅を演じることによって、キャラクターに深みを持たせたいと考えるようになりました。これは僕が役を演じるに当たっての「企業秘密」です。



 記者 教えていただいていいんでしょうか…?



 古川 もちろん。それで、これはもう役者の欲みたいなものでしょうけれども、たった一つのせりふの中にも、その両方の要素を込められないかと考える癖ができてくるんです。例えば「ONE PIECE」で僕が演じているエースというキャラクターは、海賊団の強い男であると同時に「弟思いの兄」という側面を持っている。それを一言で表現したのが「出来の悪い弟を持つと兄貴は心配なんだ」というせりふ。「出来の悪い弟を持つと」ここまでは強い男らしく快活にしゃべったんですが、後半の「兄貴は心配なんだ」は思いっきり優しくやったんですね。そしたらファンレターに「このせりふ好きです」って書いてくださる方がいたり、声まねをする方がここをまねしてくださったりして、エースの代表的なせりふの一つになりました。「このやり方でいいのかな」と自信が持てましたね。



 記者 最後に「真夜中の処刑ゲーム」の見どころを教えてください。



 古川 声優としてはどのせりふも聞いていただきたいですけれども、作品としてはテーマに注目してほしいですね。警察がストライキを起こして治安が悪くなった中で起こる籠城劇というジャンルですが、スリリングな展開を通じて「日常の中に潜む狂気」を描いているのかなと思います。特に象徴的なのがラストシーン。周りにいる一見すると普通の人たち、あるいは自分たち自身の中にも、そういう異常性が潜んでいるのではないかと思わせるような終わり方で、最後まで目が離せない。僕も何度も見ている作品です。



 【メモ】「真夜中の処刑ゲーム」 1981年にカナダで実際に起きた警察のストライキを基に製作された。警察が動かないため無法状態と化した街に、気に入らない人間を次々に殺害する「自警団」が出現。彼らの次の標的となった男女6人が、複雑な構造のアパート内にわなを仕掛けて迎え撃つ。日本では88年に「日曜洋画劇場」で放送され、話題を集めた。



(取材・文=共同通信 高田麻美 撮影=佐藤まりえ)

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