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2024.01.01 05:00

【ぷらっとTOKYO】「竹橋」 関東大震災からの復興象徴

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 背後の木々も美しい竹橋=東京都千代田区

 皇居のお堀に架かる竹橋(東京都千代田区)の周辺は、水と橋と木が織り成す都心の美景。平穏なその姿が、関東大震災からの復興によって形作られたことも、街の所々から見えてくる。(共同通信=松本泰樹)


 竹橋の名は、元々ここにあったのが、竹を編んだ橋だったことに由来するという。現在の鉄筋コンクリート造りのアーチ橋は、震災後の1926年に復興事業で架設され、93年に改修。水面に映る影が優しい曲線を描き、高欄の装飾は、緑色の竹がモチーフだ。


 高速道路の下を流れる日本橋川にも多くの橋が架かっている。一ツ橋の前身は、徳川家康が江戸に入った当時から存在したという。大きな丸木が1本架けられていたのが名前の起こりと伝わる。


 その300メートルほど上流にあるのが雉子橋。家康が朝鮮からの使節をもてなすため、この近くでキジを飼育していた。大きな親柱が、箱形の土台の上に日本家屋を載せたような面白い形をしている。どちらの橋も、関東大震災後に架け替えられた。


 竹橋に戻り、内堀通りを東へ進むと、皇居・東御苑に通じる平川橋の前に出る。緩やかに反った和風の木橋は、88年に架け替えられた。しばらく足を止めて見ていると、外国からの観光客らしき人々が、皇居・東御苑に向かって次々に渡って行く。


 通りをさらに東へ向かうと、堀に沿って南方にカーブする。そこに小さな緑地があり、奈良時代の廷臣・和気清麻呂の銅像と、「震災イチョウ」と名付けられた木が立っている。イチョウは、関東大震災で付近一帯が焼け野原になった時、奇跡的に生き残り、この地に移植された。枝を見上げながら震災以来、1世紀にわたる時の流れを思い起こした。


 【メモ】竹橋西側の通り沿いに、東京国立近代美術館と国立公文書館が並び立つ。科学技術館も近くにあり、文化施設が集積する一画になっている。

(c)KYODONEWS

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