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2023.12.06 07:00

【逍遥の記(17)】生の悲しみ描く画家の再生  堀江栞、苦闘の結晶「かさぶた」110点

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 「後ろ手の未来2023」(2021―2023年)が展示されている様子=東京・神楽坂のギャラリー「ルートKコンテンポラリー」

 出会いは2022年春だった。神奈川県立近代美術館鎌倉別館で開かれていた「生誕110年 松本竣介」展を見に行き、同時開催されていた小企画展の方に足を向けた瞬間に、引き寄せられた。最初に目に入ったのは、ハシビロコウだ。多和田葉子の小説「献灯使」の表紙で見た絵だと、すぐに気づいた。だが、独立した作品として向き合うと、衝撃を受ける。タイトルは「凜然」。ずるずるとその部屋に入っていき、私は「堀江栞 触れえないものたちへ」の展示スペースにかなりの時間、居続けることになった。


 それから次の個展を待ち続けた。やっとかなった。11月下旬から東京・神楽坂のギャラリー「√K Contemporary(ルートKコンテンポラリー)」で始まった「堀江栞 かさぶたは、時おり剥がれる」(~12月23日)。そこで新たな堀江の世界と対面した。


 ■抗う


 鎌倉での展覧会にいったん戻ろう。「凜然」のハシビロコウの眼光は鋭く、怒りのようなものさえ感じる。岩絵具(いわえのぐ)で描かれたクチバシや羽の質感が生々しい。


 すぐ近くにあった「そっと」というタイトルの絵は、老いたキリンがモチーフと思われた。やはり目が印象的だ。「滅びゆく生物」とでも呼びたくなるような存在感が胸に迫る。「生の悲しみ」という言葉が思い浮かんだ。なぜこの世界にいま在るのかという根源的な問いであり、痛みである。


 人物画も魅力的だ。「後ろ手の未来」と名付けられた大きな作品には、20人ほどの若い男女が描かれている。多くは三白眼で、みな前を見詰めている。笑顔はない。全員がくすんだ同じ色の服を着ている。収容所の制服のようにも、囚人服のようにも見える。抑圧されたり自由を制限されたりした者の苦しみが想像されるが、それに覆い尽くされていない何かが伝わってくる。


 「後ろ手の未来2021」(「後ろ手の未来」#2~#6)は、「後ろ手の未来」の群像から一人一人を独立させたような人物画が5枚並んでいる。5人のうち4人は何かを手にしている。枯れたように見える花、縫いぐるみ、人形、絵筆。絵筆を持つ人は、堀江の分身なのかもしれない。


 同じ制服でも、はめていないボタンの位置、立ち方、そして何よりそれぞれの表情が違っていて、個を主張しているように見える。自身が置かれた状況に対する悲しみと、それに抗おうとする強い意志が、描かれた目に宿っていた。


 ■記憶


 堀江栞は1992年生まれ。多摩美術大で日本画を専攻した。なぜ日本画だったのか。


 美術大を目指した高2のとき、油絵を描いていたら体調を崩した。有機溶剤のアレルギーがあったのだ。一度は画家の道を諦めようとするが、岩絵具なら使えると分かった。岩絵具は日本画の画材。日本画を専攻することが、画家になるための唯一の道だった。


 最初は石や人形、動物を描き、人物は描いていなかったが、16年から1年間、パリで過ごしたことをきっかけに、人物も描くようになる。


 さて、神楽坂の個展である。久しぶりに彼女の絵に会えると思うとわくわくする。このギャラリーに行くのは初めてで、神楽坂の閑静な住宅街の中にそれはあった。


 一歩足を踏み入れて、胸を突かれた。顔のようなもの、傷ついた魂のようなものが描かれた小ぶりの水彩画が1階と2階にたくさん並んでいる。110点あるという。


 一点一点表情が違い、使われている色も異なる。どちらかというと、暗い感じの表情が多い。苦悩、困惑、怒り、悲嘆、諦め…。どれも、どれか一つに決めることが難しい、複雑な表情だ。2階の奥にパネルで説明書きがあった。


 「あることをきっかけに、絵が描けなくなった。自分がもっとも大切にしているものと、それに携わるひとたちが怖くなった」と冒頭にある。胸が苦しくなる。「辛い記憶にのまれそうになる。なんとか筆を握らなければ。濁りを洗い流すような水彩絵具の軽やかさに励まされ、傷口がこれ以上開かないよう、蓋をする。ただそれだけを繰り返しているうちに、小さなかさぶたの束が手元に残った」


 ■存在


 今回展示されているこれらの絵には「かさぶた」というタイトルが付けられている。もがき、苦しんでいるときに、それらは描かれた。苦闘の結晶のような作品群を、私は美しいと思った。以前と同じように岩絵具で描けるようになるまで、1年半かかったという。


 ゆっくりと見ているうちに、やはり、存在の悲しみが伝わってきた。でも、生傷はやがて、かさぶたになる。時おり剥がれることはあるけれど、確実に傷は癒えていくはずだ。これらの絵を描きながら、彼女は自分を取り戻していったのだ。


 だから、だろうか。フラジャイルでありながら、どこかに明るさが潜んでいる。それは、何かに立ち向かおうとする者の強さであり、向日性なのかもしれない。


 「後ろ手の未来」の絵もあった。#2~#7の6枚で、鎌倉での展示から1枚増えている。1年半の休止の後に、再び岩絵具で描いた作品なのだろう。この6枚セットで「後ろ手の未来2023」と名付けられた。


 新たな作品の誕生を心から喜びたい。画家、堀江栞は再生したのだ。(敬称略/田村文・共同通信編集委員)


 【追記】ルートKコンテンポラリーの住所は東京都新宿区南町6

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