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2023.10.18 07:00

逍遥の記【15】芸術の一回性に触れ「わたしたち」を問い直す  連日変化し続ける「さいたま国際芸術祭2023」

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 「さいたま国際芸術祭2023」のメイン会場風景。透明の板による通路が張り巡らされている

 「いつ、どこで、誰と、この芸術祭を見たのか。それによって芸術祭の経験が大きく変わってしまう、そんな芸術祭のあり方を考えました」


 「さいたま国際芸術祭2023」のメディア向け説明会で、ディレクターの南川憲二の言葉にハッとした。コンサートや演劇であれば、いつどこで見たかということが非常に重要で、作品との出会いは一期一会だということは身にしみて知っている。けれど、美術展はいつ見に行っても同じだと思っていた。芸術祭はそうではなかったのか。会場が広いから、どこを回って何を見たかは人によって違うはずだが、どこか美術展の延長のように考えていたのかもしれない。南川は続けて、こうも言った。


 「その日、その時、そこにいることを選んだ鑑賞者自身の行動、行為によって見え方が生まれていってしまう。一人一人に固有の鑑賞体験が生まれる。そんな芸術祭にしたい」


 「一回性」という言葉が頭に浮かんだ。それは芸術の原点でもある。


 ならば、あえて書こう。それは、10月6日金曜日午後のことだった。私は「さいたま国際芸術祭2023」のメイン会場(旧市民会館おおみや)に行ってディレクターらの説明を聞き、そのあとの内覧会に参加した。会期は翌10月7日から12月10日まで。テーマは「わたしたち」だ。


 ■導線とスケーパー


 メイン会場には幾つかの企みがある。その一つは「導線」だ。フレームの中に収まった透明な板を連結してつくった通路のことなのだが、それがメイン会場全体に迷路のように張り巡らされている。


 この板は透明であるがゆえに、「窓」の役割も果たす。「向こう側」の空間が生まれるのだ。その結果、向こう側を歩く人や、向こう側に何気なく置かれた椅子が「見る対象」になる。さらに言えば、向こう側の人の視線を感じ、自分が「見られる対象」になっていることにも気づく。


 この窓は「裏側」も可視化する。大ホールで連日上演されている音楽ライブやパフォーミングアーツのリハーサルや準備風景も見ることができる。


 「SCAPER(スケーパー)」という仕掛けも面白い。人為的なものとそうでないもの、パフォーマンスとそうでないものの境界を曖昧にする人や物、光景をつくっていく企画だ。毎日、多くのスケーパーがメイン会場内外、さいたま市内の各所で展開しているのだという。


 絵を描く画家の姿が絵のように見えたり、道端に綺麗に並んだ落ち葉が作品に見えたりすることを思い浮かべたら分かるかもしれない。もしかしたら会場近くにいる警備員が、ひょっとしたら会場内で働く清掃員も、実は誰かが演じているのかもしれない。実態は明かされないので「あれは?」と疑心暗鬼になる。


 この特殊な導線やスケーパーは、ふだん見ている風景の見方や解釈を揺さぶり、日常という概念の見直しを迫ってくるようだ。


 ■赤いガーベラ


 個別の作品も紹介したい。南川が「連日めくるめく変化をする」と話していたこの芸術祭の象徴となるような作品が、メイン会場2階の入口近くにあった。アーニャ・ガラッチオの作品。たくさんの赤いガーベラがガラス板と壁の間に閉じ込められている。


 造花ではないから徐々に萎れていくはずだが、その変化は個々の花によって違うだろう。そして、会場を訪れる鑑賞者はその変化に加担しているのかもしれない。一人一人の吐く息が、何らかの影響を与える可能性があるからだ。


 導線に従って歩き、ヘッドフォンから流れてくる詩人、伊藤比呂美の朗読を聴いたり、テリー・ライリーのコンサートの準備風景を眺めたり。今村源の「うらにムカウ」は、この会場「旧市民会館おおみや」に残されていたという傘立てやはしご、机といったありふれた物で制作したインスタレーション。針金を用いた独特の手法で、まるでそれらの物が水面に反射して映っているような錯覚を誘う。


 ■毎日違う肖像写真


 「ポートレイト・プロジェクト」にも触れたい。編集者の川島拓人が企画し、写真家のオルヤ・オレイニ(モルドバ共和国)、マーク・ペクメジアン(カナダ)、そしてさいたま市内の小学生たちが、市内を歩く人に声をかけるなどして撮影した縦横約2メートルの巨大な肖像写真なのだが、毎日違う人の写真に入れ替えて展示されるという。


 会場にいた川島に作品の意図を聞いた。


 「例えば電車に乗っていて誰かと目が合うと、降りるまでその人のことが気になったり、何をしている人なのだろうと考えたりして、『他人』という域を超えた存在になる。でもすぐに忘れるかもしれない。同じように、この会場で、写っている人に目を合わせることで、その人のことを考えると『他人』ではなくなる。でも、また別の日に来た時には、別の人の写真が展示されている。それが普通の生活に近い感覚だと思う」


 ■関係性が浮かび上がる


 メイン会場と道路をはさんだ場所にある「氷川の杜ひろば(大宮図書館)」に足をのばした。上を見上げると、天井に大きな青い布のような作品がたくさんひらめいていて壮観だ。一枚一枚に目を凝らすと、さまざまな格好をした人の形が白く刻まれているのが分かる。これは、何だろう。


 説明板を見ると「BODY PRINT ACTION 2023 わたしとあなた」とある。等身大の影を日光写真で撮影する作品シリーズだ。今回の芸術祭のテーマ「わたしたち」を受け、約20組の親友、夫婦、恋人、家族、同僚など、ペアでの参加を募り、8月から9月にかけて撮影したという。両面に写った2人のシルエットが重なり合い、その関係性が浮かび上がる。


 同じ建物内の隣に大宮区役所があり、そこを訪れた人たちの何人かも作品を眺めていた。「日常に芸術を侵入させて市民を巻き込みたい」。制作者の浅見俊哉がそう話してくれた。


 会場を歩くことで、日常を問い、「わたしたち」自身を見直す。「無自覚」に抗し、ささやかな覚醒を促す。そんなメッセージを受け止めた。帰り道、駅に向かう途中の公園にたむろする若者たちがスケーパーの仕掛けに見えてきた。


 芸術祭はメイン会場以外にも、さいたま市内の文化施設やキャラリーなど、地域と生活に根差した文化的空間を活用して市民プロジェクトや連携プロジェクトを展開する。


また訪れたら、まったく別の芸術祭を見たと思うのかもしれない。(敬称略/文・写真は田村文・共同通信編集委員)

(c)KYODONEWS

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