2024年 05月16日(木)

現在
6時間後

こんにちはゲスト様

高知新聞PLUSの活用法

2023.10.16 05:00

【ぷらっとTOKYO】「鶯谷」 子規しのび、ゆかりの地へ

SHARE

 正岡子規が使った文机(複製)。立て膝を入れる部分がくりぬかれている=東京都台東区

 東京・根岸周辺には、俳人正岡子規(1867~1902年)が晩年の8年余りを過ごした「子規庵」をはじめ、ゆかりの深い地が点在する。子規をしのんで巡った。(共同通信=鈴木賢)


 JR鶯谷駅北口から5分ほど歩くと、木造平屋建ての子規庵に着いた。子規庵保存会によると、45年に戦災で焼失したが5年後、高弟・寒川鼠骨らの尽力でかつての姿に再建されたという。


 6畳間には文机(複製)が置かれている。病で左足を伸ばせなかったため、立て膝を入れる部分がくりぬかれている。子規に倣い、膝を立てて机の前に座った。外を眺めると、子規が「小園」と呼んで愛した庭のヘチマ棚の隙間から木漏れ日が降り注ぎ、ケイトウの花が風に吹かれ揺れていた。


 子規庵は、日記「仰臥漫録(ぎょうがまんろく)」に記された献立を再現した「食べもの帖」を公開している。ココア入りの牛乳やブドウ、おはぎ、塩せんべいなどさまざまな食べ物が写真付きで紹介され、病の床に伏しても食欲旺盛だったことがうかがえる。


 子規庵保存会の田浦徹さんは「来られる方には子規がここで亡くなったというよりもむしろ、8年余り生きたことを実感してほしいです」と話す。


 鶯谷駅前にある元三島神社の境内には子規の句碑がある。「木槿咲(むくげさい)て絵師の家問ふ三嶋前」。「絵師」とは、子規が絵を教わっていた洋画家浅井忠のことで、子規が神社近くの浅井宅を訪ねる際に詠んだ句という。


 駅を離れ、上野公園へ向かう。子規は野球を愛好し、若かりし頃、ここで野球を楽しんだという。公園内の野球場には「正岡子規記念球場」の愛称が付けられている。


 子規の雅号の一つは、幼名の「升(のぼる)」にちなみ「野球(の・ぼーる)」。球場前には「春風やまりを投げたき草の原」の句碑が立つ。西日が差すグラウンドを眺めていると、つかの間、芝生の上でキャッチボールをする子規の姿が思い浮かんだ。


 【メモ】子規庵は原則、土・日曜と祝日に公開。

(c)KYODONEWS

国内・国際 Nエンタメカルチャー

注目の記事

アクセスランキング

  • 24時間

  • 1週間

  • 1ヶ月